アラン「幸福論」から夫婦関係を悪化させない方法を考える

アラン(エミール・オーギュスト・シャルティエ、1868-1951、フランスの哲学者)の「幸福論」(宗左近、中央公論新社、2016、以下「幸福論」と記す)は九十三編のエッセイ集です。その三十七「夫婦」に男女の違いと夫婦関係を悪化させない方法が考察されています。

男女の違い

アランは三十七「夫婦」の冒頭で次のように述べています。

ロマン・ローランはそのすぐれた著書のなかで、よい夫婦というものはめったにいない、そしてそれは当然のことだ、と言っている。…女性は感情的であり、男性は活動的である。
「幸福論」p116

感情的な気質は体のつくりにもとづきます。子どもを生み、子どもを育てるという生物学的なつくりが、アランのいう「気まぐれ」「支離滅裂」「強情」という情念を生みます。

上の引用にあるように、男性は行動的です。ここでアランが「理性的」という言葉を使っていないことは注意するべきでしょう。感情の反対は理性と考えられていますが、そうした軸で男性と女声を対立させているわけではないのです。

男性というものは、行動しているときにのみ、理解されうるものである。男性の本来の職能は、狩猟し、建設し、発明し、試みることである。こういう道からはずれると、男はたいくつする。しかし、いつもそのことに気がつかない。そこで、つまらないことのためにたえず動きまわっている。…男性として自然なこの結果を、女性は偽善だととるのが普通である。
「幸福論」p117

男性は獲物を捕まえて生活し、家を作り、産業を発展させる生き物です。男性は生の躍動を知的好奇心と結びつけて、実際に行動してきました。そして女性はそうした性質を偽善とみなすのです。

夫婦関係を悪化させない方法

アラン「幸福論」は一貫して礼儀の重要性を説いています。礼儀を作るためには、自分を公共に置く必要があります。

この危機の克服療法は、公共生活のなかにある…まず、家族同士と友人間の交際ということがある。この交際は夫婦の間に礼儀という関係をうち立てる。これが、いつでも表立ってあらわれる機会の多すぎるいっさいの感情のきまぐれをかくすためには、絶対に必要である。
「幸福論」p118

寝そべっている間、人は「やるぞ」と思っても行動しません。本を読もうと思ってもあくびをするだけで、本を読まないのです。

同じように、家にいる間、人は「礼儀を正そう」と思っても礼儀を正そうとしません。礼儀は自分と外の面倒な関係、不快やストレスを与えられるやっかいな時間から生まれるのです。

そして礼儀を忘れると、夫婦関係が簡単に壊れます。アランは「安逸な閑居から遠ざけ」なさいと言います。

愛しているかぎり、礼儀のほうが気分よりも本物だ。…孤立して、ただ愛情という食物だけをくって生きている夫婦というものに常にあぶなっかしいものがあるのは、このためだ。…反省による知恵も、そこではたいして役に立たない。感情を救うものは公けの約束事なのである。
「幸福論」p118

上の引用文はとても重要です。夫婦の中だけで完結させている夫婦関係は海に浮かぶ小さな舟よりもあぶなっかしいものです。

例えば喧嘩した後、どちらか一方が自虐的なロマンチストになって和解の道を探し、もう一方がその優しさに感動することで、喧嘩が終わったとします。アランからすると、こうした解決法は役に立たず、おそらく長くもちません。

二人の仲を結びつけるものは、公共生活から強いられる束縛です。例えば、二人がかつての同級生であれば、二人の恩師が二人の争いを終わらせる役目を担うかもしれない。

公の世界は、夫婦が感情をぶつけ合ってつくりあげた家庭内の憲法など知りません。夫婦が別の夫婦と(例えば夫の仕事の関係から)つきあわないといけないとき、夫婦はその夫婦から新しいルール、問題、そしてストレスをもらいます。

その夫婦にとってストレスと怒りの矛先は、夫や妻ではなく、つきあっている別夫婦に向くようになる可能性が高くなります。

これが夫婦が愛情をむさぼり食べて、食いつくして、互いに互いを罵るようになる悲惨な結果を作らないための方法です。夫婦が公共生活を送ることで、互いにあら探しをする習慣を減らし、互いに礼儀正しくふるまうようになっていくのです。

目次(アラン「幸福論」)

概要
37. 夫婦(夫婦関係を悪化させない方法)
38. 倦怠(怠け者は行動しない)
67. 汝自身を知れ(最大の敵は自分である)
78. 優柔不断

参考文献

アラン「幸福論」(宗左近、中央公論新社、2016)

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