優柔不断は不幸と苦痛の元凶である|アラン「幸福論」

アラン(エミール・オーギュスト・シャルティエ、1868-1951、フランスの哲学者)の「幸福論」(宗左近、中央公論新社、2016、以下「幸福論」と記す)は九十三編のエッセイ集です。この記事は78「優柔不断」を解説します。

優柔不断は苦痛である

アランは好んでデカルトを引用しています。中でも「優柔不断は最大の苦痛」という言葉をくりかえし引用しています。

優柔不断は決断しないこと、決意しようとしないことをいいます。これは不毛な運動であり、有意義な結果を生まないどころか私たちを不幸にします。

優柔不断の中には暴力がある。…もっとも苦しい情念である恐怖は、言ってみれば、筋肉の優柔不断の感情である。…この種の苦痛において一番いけないことは、自分はそこから抜け出せないと思ってしまうことである。
「幸福論」p238

優柔不断でいる限り、結果はいつまでも出ない。結果が出ないと、人は一時的な安堵を見つけて再びあれこれと考えるが、これはさらなる混迷と恐怖、そして焦燥を生む。

行動しないといけない。早い決着を促されている。それにもかかわらず自分はなにもできない。体のあらゆるところが緊張して、汗をかいて、ますます動けなくなる。これは一種の恐怖体験であり、不幸体験です。

リスクをとる

優柔不断はどのように捨てられるでしょうか? アランは結論をあいまいにはぐらかしていますが、この記事では執筆者の独断的な解釈と「幸福論(優柔不断)」の前後の文脈をふまえて、結論づけたいと思います。

結論は、リスクを好むことに慣れることと、自分自身を尊敬することです。

怠け者は思考して行動しない。義務とリスクは幸福であるで述べたように、アランは怠け者の倦怠は恐ろしい不幸であり、それを直すためには行動し、場合によってはリスクをとるべきだと言います。リスクの選好と幸福が深いつながりを持っていることは「幸福論」で何度も主張されています。

賭けごとにおいては、すべては厳密に平等であり、そして選択しなければならない。この抽象的な危険は、反省を無視するようなものだ。…賭けはただちに答える。そして、われわれを毒する後悔はあり得ない。あり得ないのは、理由がないからである。…賭けごとが倦怠に対するただ一つの薬であることに、わたしは驚かない。
「幸福論」p237

とアランは述べています。賭けごととは、受験や就職といった人生を左右する出来事を含む、広義の選択です。私たちは生まれたときから選択しているように思われますが、最後の決断はだいたいが運任せです。重要な決断を下すときに熟考することは大切かもしれませんが、最後は運に任せています。私たちはここを忘れてしまいがちです。

結局は運に任せるしかない。結局はすべての卵を同じカゴに入れている。そう考えてリスクを好んでいくことで、私たちの肉体は優柔不断から脱していきます。アランはあらゆる精神的苦痛を肉体の変化とつなげていますが、おそらく優柔不断も肉体的な習慣によるところが多いと考えていたでしょう。

もう一つは自分自身を尊敬することです。自分を尊敬してれば、たとえ失敗しても自分を強く恥じることはないはずです。優柔不断は失敗を恐れる気持ちから始まります。失敗を恐れるのは、失敗したときの自分に耐えられないと考えるからです。

失敗したときの自分を受けいれるためには、自分を軽蔑しない習慣を持つことが重要です。つまり優柔不断であるかぎり、自分で自分を不幸に置いているのです。

決心とは解決である

「幸福論」訳者の注意書き(p239)にあるように、フランス語で「決心する」は同時に「解決する」という意味も持っています。

フランス語の言葉はまさに真実であり、決心した瞬間に、それまでその人が進めていた準備は一気に結末に向かいます。それがいい結果であれ、悪い結果であれ、まずは現実という形になる。

デカルトはいくつかの正しい(と思われる)考えをもとに、幾何学の命題を立証しました。最初の出発点を信じたからこそ業績は生まれたのです。

決心しない限り、現実は生まれません。そしていつまでも考えにふけっている状態は、自分を軽蔑する行為であり、自分を怠け者にする行為であり、自分を不幸にする行為であります。

目次(アラン「幸福論」)

概要
37. 夫婦(夫婦関係を悪化させない方法)
38. 倦怠(怠け者は行動しない)
67. 汝自身を知れ(最大の敵は自分である)
78. 優柔不断

参考文献

アラン「幸福論」(宗左近、中央公論新社、2016)

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