数学偏重の教育と受験制度は間違っている:英語、歴史、倫理政経の重要性

「大学で数学を専攻した人間が何を言っているのだ」という批判が起きるかもしれないが、私は数学偏重の教育は間違っていると思う。このいろは進学会というページでも数学はかなり扱っているが、数学が中心になるような作りにしようと考えていない。

数学は個人の論理的思考力を育てる重要な科目だ。小さい頃から数学をきちんと学んできた人とそうでない人では大人になって思考力に差が出るだろう。

しかし数学は高度な分野になるにつれて暗記的側面と専門的側面が表れて、勉強する者が数学から習得する論理的思考力の伸びは低減していく。とりあえず公式や解法を覚えて使いこなすようになればほとんどの問題は解けるようになるからだ。思考力の伸びは記憶量の伸びである程度カバーできる。

勉強が教養型の勉強から受験型の勉強にシフトするとなおさらだ。微分積分を理解することは重要だが、受験で求められる力は短い時間で膨大な計算を正確にこなす力に収束していく。このような力も無意味ではないが、高校生が三角関数の積和公式を暗記して計算速度を限界まで高めようする姿を見ると、複雑な気持ちになる。

数学より大切な科目

数学も重要だが、数学より重要な科目が三つある。それは英語、歴史、倫理・政経だ。

グローバル化が進んだ世界で最も重要なスキルの一つは英語である。部分積分の理解も重要だが、それよりも英語のワンフレーズを覚えるほうが重要だ。

次に歴史。これは日本史と世界史の両方である。多くの文系学生は日本史と地理を選択し、世界史を最初から除外する。世界史は他科目よりボリュームが圧倒的に多いからだ。私の同級生の多くもそうで、私自身(理系だったせいでなおさら)世界史を敬遠していた。しかし世界史は「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」という言葉に裏打ちされているように最重要の教養である。なぜ現代社会がこうなっているか、今後どのような社会になっていくか、それをふまえて自分はどうするべきか、といった分析も世界史の教養をなくしては得られない。

そして倫理・政経。倫理も政経も世界の哲学の流れを記述した重要な科目である。政治や経済を含めた広い意味での『哲学』は人の人生に大きな影響を与える。例えば倫理でプラグマティズムという思想を学ぶが、プラグマティズムの第一人者ジェームズは『有用性』を善としている。考えや行動が善であるかどうかはその結果が有用であるかどうかで判断できるという思想であり、プラグマティズムはアメリカの資本主義と自由主義に結びついている。これを教養として持っていれば、早いうちから経済的合理性に目覚めて「どうやったらお金を稼ぐことができるだろう」と考えたり、あるいは高校生起業家になろうと夢見て何かしらの行動を起こすかもしれない。

英語はコミュニケーションスキルとして、そして歴史と倫理・政経は進路と決断に影響する教養として重要である。以上からこのいろは進学会では歴史と倫理・政経を中心的に扱っていく。

受験制度の見直しが必要

数学の難しい問題を解く能力は素晴らしい能力であることに間違いない。しかし今の受験制度はそれを重視しすぎている。微分積分の問題も大切だが

「あなたが大切にしている信条をふまえて、あなたにとっての理想的な社会像を説明しなさい。またそのために私たちとあなたができることとするべきことを説明しなさい」

といった小論文的な問題も重要だ。理系は英語と数学と物理と化学だけをやっていればいい、文系は英語と国語と日本史と地理だけをやっていればいいという、という受験制度は見直されるべきだ。