千田有紀氏と中嶋よしふみ氏の奨学金問題に関する論争:千田有紀氏の意見は尊重されるべきだ

地頭を鍛える三つの方法という記事を書いた後、千田有紀氏と中嶋よしふみ氏の奨学金問題に関する論争を読み、記事で言及した論理的妥当性という言葉の意味を改めて考えた。私はプロフィールに記している通り数学科出身で、論理学などは大学で一通り学んだ。論理の王様である数学を専攻してもなお、私は論理というものを完全に信じていない。奨学金問題といった社会的な問題を論じたり考えたりする時は、論理的な構成や細かい数字のデータだけでなく、人が自然に持っている感情を考慮するべきだと私は信じている。

中島よしふみ氏は千田有紀氏を(直接的ではないにせよ)「教授を辞めるべき」などと痛烈に批判し、千田有紀氏の記事にも「あなたは奨学金制度を正確に理解していない」「教授に相応しくない」というコメントが並んでいる。このような世論形成は正直残念でならない。

中島よしふみ氏はアカデミックな世界にいる千田有紀氏に敬意を払うべきだ

奨学金問題は日本の社会的、経済的問題であると同時に大学というアカデミックなテーマである。奨学金問題はあらゆる問題とつながっており、『大学はどうあるべきか』という深いテーマともつながっている。

千田有紀氏は東京大学出身で准教授、教授と実力主義の側面が強いアカデミックな世界を生き抜いてきた、その道の『先生』である。氏の奨学金問題に関する記事を完全に正しいと言うつもりはないが、日本の社会を誰よりも研究している研究者の社会的な意見は尊重されるべきだ。

地頭を鍛える三つの方法という記事で書いたように、権威者の意見を何も考えずに鵜呑みにする姿勢は良くないが、かといって中島よしふみ氏や千田有紀氏の記事に高圧的なコメントを書いた人たちのような不遜な姿勢も良いとは言えない。教授に賛同せよと言っているわけではない。最低限の敬意を払うべきだと言いたいのだ。教育について論じるならばなおのことで、本当に奨学金という教育的な問題を考えているならば「教授を辞めるべき」という言葉は絶対に出ないはずだ。この点において中島よしふみ氏は自ら信頼を失墜させている。

フェイスブックでコメントを書いている人たちも同様だ。

千田有紀氏は奨学金と大学のあり方を含めた日本社会の構造まで視野に入れている

千田有紀氏はそもそも奨学金だけに焦点を当てているわけではない。大学の問題や日本社会のいびつな構造をふまえた上で俯瞰的に奨学金問題を言及している。

奨学金というリスク 中嶋よしふみさんの批判にこたえて

私はこの記事は尊重されるべきだと思う。そして中嶋氏の『大学を卒業していない人』に対する見識は残念でならない。

以下、引用始まり

中嶋さんは私が、高卒できちんと職がある時代が終わったと指摘したことに対して、「ついでのように高卒を見下すような書き方は、事実誤認の上に学歴差別としか言いようが無い酷い認識だ」と批判する。その根拠は、
50%程度の大学進学率を考えれば残り半数は中卒・高卒・専門卒・短大卒等で就職をしている。奇しくもこの記事を書いている時点で高卒の就職内定率が90%で25年ぶりの高水準であると時事通信で報じられている。 出典:奨学金を批判する教授が大学を辞めるべき理由。
ということであるらしい。眩暈がする。ひょっとして、そこらへんにある数字を切ったり貼ったりすることで、社会問題を語りつくせると思っていらっしゃるんでしょうか? 「トンチンカンな批判する前にまずは正確なデータを把握すべきだ」という言葉は、そのまま中嶋さんにお返ししたい。 (中略) 高卒に仕事がない訳ではない。しかしもはや高卒に来る求人は、「現業」が多い。ホワイトカラーを望む学生たちの選好とはずれ、マッチングが上手くいかなくなった。その結果、高卒で就職できなかった学生が、仕方なく大学に入学するような事態すら起こっている。見かけの数字は、どのような就職であるかは何も語らない。 (中略) 自分が正社員の職を見つけられるか、見つけられたとしても十分な給料がもらえるかどうかは、そしてクビにならないかはまったくわからない。しかし大学の学位をもっていなければ、雇用をめぐる競争にすら参加できないように思わされ、多額の奨学金を背負ったうえで、学生たちは勝負に出るのである。
大卒と高卒の生涯年収を比較すれば大卒の方が高い。これは今後も同じ状況が続くと思われるが、この話は個人の損得の話であり、公益ではなく個人の利益のために税金を今まで以上に投入すべきというなら、おかしな話になってしまう。 出典:奨学金を批判する教授が大学を辞めるべき理由。
教育はあくまで個人の損得の問題にすぎないのであって、公共的な色彩は帯びないのか。大学教育は、生涯賃金のためだけに必要であり、教育はなんら社会的な意味合いをもたないのか。中嶋さんにとって、「公益」と「個人の利益」とはどのようにわけられるのだろう。繰り返すが、このような土俵でしか教育が語られないことに、残念な気持ちになる。 出典:奨学金というリスク 中嶋よしふみさんの批判にこたえて

以上、引用終わり

中嶋氏が『高卒』という人たちを切り捨てているように見えるのは私だけだろうか? 無感情で上辺のデータを見れば、確かに『高卒』に仕事がないわけではない。しかし現実的に「高卒でいいや」と気楽に思っている高校生は少ないはずだ。金銭的に厳しいが、将来のために『大卒』という資格を手に入れるために一か八か出ようという学生の気持ちがなぜわからないのか。

中嶋氏のデータ主義にめまいのするくらいの冷たさを感じる。人の自然な気持ちをくみとって議論するという姿勢は必要だと思うが。

それとも中嶋氏は「金銭的に厳しければ国立大学に行けばいい」と思っているのだろうか? 国公立大学に入学できる学力レベルはあっても、「遠距離で通えないから一人暮らしをせざるを得ない。一人暮らしをすると近場の私大に行くのと同じくらいお金がかかってしまう」と考えて国公立と私立を天秤にかける学生は多いだろう。国公立大学は基本的に各都道府県に一校(多くて二、三校)しかない。

例えば東京でも東大、東工大、一橋大という国立大学はあるが、どれもかなりレベルが高い。そのため多くの高校生は千葉大学などを視野に入れるが、(失礼だが)交通の便がいいとはあまり言えない。関東でも国立大学がバラバラに点在しているがために一人暮らしを余儀なくされる学生は多く、それがかなりの経済的負担になっている。だから学力レベルが高くても奨学金に頼るしかないという学生は大勢いる。

大学教授という立場にありながらデリケートなテーマに言及した気持ちを理解するべきだ

先生は最初奨学金の金利について誤解を招くようなオーバーな表現をしてしまったがために批判的な意見が相次いだようだが、私はその気持ちが理解できる。日本学生支援機構の金利は確かに普通の借金から比べたら低く、一見素晴らしい仕組みのように思われるが、延滞のリスクは奨学金のメリットを打ち消すほどの恐ろしさがある。私は国立大学出身だが、受験する際は私大医学部も考慮していた。そして奨学金について入念に調べ、そのリスクの高さについて恐ろしくなった記憶がある。

私大医学部などの修学資金貸与制度も日本学生支援機構の奨学金同様にリスクのデメリットが目立ち、授業料の支払いが困難な当事者の気持ちを考えると大学の奨学金制度のリスクを感情的に訴えたくもなる。論理的な議論を超えて千田氏の感情をくみとる余裕は中嶋氏になかったのか? 実際にお伺いしたいところだ。

奨学金の問題は当事者になってみると実感できる。同級生から法科大学院入学者の切実な奨学金事情を聞いたが、聞けば聞くほど恐ろしくなった。ちなみに東京大学である。

東大出身者はわかるだろうが、駒場キャンパスの校門辺りで学生がしばしば「授業料を下げろ!」とスピーカーを鳴らしている。その横で『逆評定』が配布されていたのは今でも覚えている。私が入学した当時は年間56万円だったように思うが、月に換算すると約5万円。一人暮らしをしている学生にとってこの額はかなりの負担だ。千田氏も東大出身だからこの『学費値下げ運動』をご存知だと思う。だから奨学金について中嶋氏と多少感情的になっても論争したのだと私は勘ぐってしまった。

意見に論理とデータを厚く塗らないでほしい

中嶋氏の記事は筋が通っているが、(今は訂正されているが)「教授を辞めろ」と発言する横暴さや『高卒』の実情を軽んじている冷酷さからまったく賛同できない。中嶋氏の他の記事を読む限り、中嶋氏は論理性や数字を何よりも重視しているようだが、その考え方にも私は賛同できない。

以上。

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