イギリス国教会とエリザベス一世(高校世界史)

イギリス国教会は、16世紀にヨーロッパで起きた宗教改革の中で生まれたイギリス独自のキリスト教である。

イギリス国教会の成立

テューダー朝のヘンリ8世は、前国王のヘンリ7世の絶対王政をより強固にした。その一つのあらわれとして、ヘンリ8世はイギリスのキリスト教会をローマ教皇から離した。

ヨーロッパ各国のカトリック教会では、教会に関する税金の一部はローマ教皇庁に上納する。これは各国の財政にしばしば重荷になっていた。ヘンリ8世は、王妃の離婚問題という政治的な理由で、イギリス・カトリックをローマ教皇庁から独立させた。

1534年、イギリスは国王至上法を定めて、ローマ教皇庁と断絶した。さらにイギリス国内の修道院を解散した。かわりにイギリス国王がイギリス全土の教会の首長になった。

ヘンリ8世のこれらのキリスト教改革は、結果として国王の権力を強めることになった。

エリザベス1世

ヘンリ8世によってイギリス国教会が形作られた後、続くエドワード6世はカルヴァン派の教義をとりいれた。

在位期間 国王
1509~1547 ヘンリ8世
1547~1553 エドワード6世
1553~1558 メアリ1世
1558~1603 エリザベス1世

しかしエドワード6世は9歳で即位し、15歳で死亡するという不幸にみまわれた。エドワード6世の次王メアリ1世は、熱心なカトリック信者であり、ヘンリ8世とエドワード6世の諸政策をくつがえすようにイギリスをカトリックに戻し、プロテスタント信者を処刑した。そのためメアリ1世はブラッディ・メアリといわれる。

メアリの後、エドワード6世の異母姉(すなわちヘンリ8世の娘)エリザベス1世が即位した。エリザベス時代はイギリスの黄金時代であり、シェイクスピアなどが活躍し、外交面では1571年のアルマダの海戦でフェリペ2世のスペインを破った。

エリザベス1世はメアリと対照的にプロテスタントに寛容で、女王になってからカトリック弾圧も行った。エリザベス1世はメアリの政策をくつがえし、再び国王至上法を定めた。統一法を制定し、イギリス国教会の祈祷書(プロテスタント祈祷書)の使用を義務化した。

エリザベス1世の諸政策によってイギリス国教会の脱カトリック化は進むが、完全なプロテスタントではなかった。カルヴァンの影響を受けた商人などは、イギリス国教会をさらに改革しようとピューリタン派を形成した。

ピューリタンはカルヴァン主義であると同時に、イギリス国教会改革派である。

祈祷書

エリザベスが使用を義務化した祈祷書は、もとはトマス・クランマーが作成したもの。トマス・クランマーはイギリス宗教改革の実質的な指導者であり、メアリ1世によって処刑された。

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