高い学歴は必要ないが、教養と技術は必要である

筆者は開成高校と東京大学を卒業しましたが、それが役に立ったことは一度もありません。これからいい中学、高校、大学を目指そうという方はその点を意識しつつ、将来を選択してほしいと思っています。

仕事をする上で、あるいは自分の頭と手足を使って生きていく上で学歴はほとんど役に立たない。しかしだからと言って「勉強してもムダ」というわけでもない。むしろ勉強しなければいけない。なぜなら学生のうちに身につけた教養と技術は役に立つからです。

教養は優れた先見性を生む

人生は運であるとしばしば言われますが、その運は個人の先見性と密接につながっています。「あの時ああしていれば…」という後悔は「今こうすればこうなるだろう」という見通しの甘さの裏返しです。すべての失敗について自分を責める必要はありませんが、要所要所で先見性が欠如すると失敗するリスクが高くなります。

逆に、先見の明があると成功する可能性が高くなります。「大学受験って英語で決まるだろうな」という直感力がある方はきっと大学に合格するはずです。

そしてその先見性、あるいは直感力は教養から生まれる。教養は行動を慎ましくし、選択の正確性を高めます。例えば『赤の女王仮説』という言葉とその意味を知っていれば、「人間は立ち止まった瞬間、努力を怠った瞬間、奈落の底に落ちていく。常に努力しないといけない」という発想と行動が生まれ、毎日の選択を正確にしていくでしょう。しかしそうした教養をまったく持っていないと「怠けてもいいや」「めんどくせえものはめんどくせえ」という考えを正当化してしまうかもしれない。

教養は短い人生に奥行きを作る

人間はあっという間に年をとって、老いて、次の世代にバトンタッチすることになりますが、そのはかなさに気づく前に、人生に深みをもたせることが大切です。自分に深みをもたせていかないと、どこかで「なぜ自分は生きているのか」といったある意味不毛な疑問ばかりが浮かんで、前に進まなくなってきます。

『深み』とは信念の積み重ねと言っていいかもしれません。

この深みを作っていくには、教養がどうしても必要になってくる。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという言葉にあるように、歴史(教養)はその人の人間性を育みます。極端な話、貧困や戦争をまったく知らない人間は、貧困を救う意義を見出だせず、私利私欲のためだけに行動するかもしれない。それはそれで結構ですが、ある程度年を重ねて、お金は墓場に持っていくことができないという恐ろしい現実に直面した時に「自分の人生は一体…」と考えてしまうかもしれない。

教養を身につけていくと自分の中に生きる意義が生まれてきます。自分はこのために生きているのだ、このために今行動しているのだ、という前向きな向上心が出てきます。それこそが人生の豊かさの一つ一つです。

技術は正義である

文章を書く技術、日本語と英語の両方を使いこなす技術、プログラムを組み立てる技術など、技術は仕事に直接影響し、人間に経済的自由と豊かさを与えます。すべての人間は最終的に何かしらの労働につかなければいけません。そして会社に入って事務作業するにしても、営業するにしても、自分一人で起業するにしても、その仕事に必要な技術というものがあります。

若ければ若いほど、その技術を身につけやすくなる。

プログラマーになりたいという方は今すぐにでもプログラムの勉強をするべきです。起業したいという方は今すぐにでも会計の基本を勉強するべきです。その技術は将来の自分を必ず救います。その意味で技術は人間にとって正義です。

高い学歴を得るために必要な勉強と、将来必要な勉強は違う

ここが重要なポイントになりますが、高い学歴を得るために必要な勉強は独特で、それ以外の場面で役に立たないものが多く、将来必要な勉強とかなり乖離します。数学は大切な学問ですが、多くの人は数学の高度な公式を受験以外で使うことはないでしょう。

しかし一方、英語はグローバル化の進む世界において普遍的に重要な科目になりつつあります。もちろん英語を一生使わないという人もいるでしょうが。

「将来必要な勉強は大学に入って勉強すればいい」

と考える方もいると思います。筆者もその一人でしたが、それは間違っています。大学に入ると実際はほとんど猶予なく大きな決断(就職または進学)に迫られて、ここで大きなミスをおかす人がかなり出てくる。高校生のうちから「自分は何者で、何がしたくて、何になりたいのか」という自己分析を続けて、そのために必要な勉強を行ってきた人は、その人にとって後悔のない選択と決断をする傾向にあります。

しかし高い学歴を目指そうと一途になりすぎると、視野が狭くなって俯瞰的に自分の将来を見つめることができなくなり、将来必要な勉強に気づかないまま高校を出ることになる。これは決していいことではない。

このように学歴はメリットとデメリットの両方を持っているため、信念や根拠もなく「高学歴=善」と考えることはかなり危険なのです。