享保の改革、寛政の改革、天保の改革|小学社会

1716年に徳川吉宗が将軍につくと、吉宗は幕府の財政を立て直すためにさまざまな改革を行った。これを享保の改革という。以降、江戸時代は享保の改革、寛政の改革、天保の改革と政治・財政改革を行った。

享保の改革

出来事
1716 徳川吉宗、将軍になる
1721 目安箱
1722 上米の制
小石川養生所開設
1723 足高の制
1732 享保の大飢饉
1735 さつまいもの普及
1742 公事方御定書

目安箱は町人、商人、農民などの人々の意見を聞くためのもので、これに投じられた意見から小石川養生所が作られた。小石川養生所は江戸の貧しい人たちのための医療・福祉施設であり、町奉行の大岡忠相が作った。

上米の制は、参勤交代における江戸の在留期間を1年から半年にする代わりに、1万石につき100石の米を献上させるというもの。これによって幕府の収入は増加した。

吉宗は、能力のあるものを積極的に登用するために足高の制を制定した。足高の制によって大岡忠相は出世し、やがて町奉行から大名になった。

1732年、享保の大飢饉が起きて米価が高騰し、市民が暴動を起こすなどの事件が起きた。

寛政の改革

出来事
1787 寛政の改革はじまる
1790 寛政異学の禁

1787年に老中の松平定信が寛政の改革をはじめた。享保の大飢饉などの反省から、大名に穀物を貯蔵させる囲い米の制を徹底させ、棄捐令で借金を帳消しにした。

また昌平坂学問所(幕府公認の学校)では朱子学のみを許可し、他の学問(古文辞学など)を禁止した。これを寛政異学の禁という。

天保の改革

出来事
1833 天保の大飢饉
1837 大塩平八郎の乱
1841 天保の改革

天保の改革は老中の水野忠邦が行った政策のこと。その前に天保の大飢饉が起きて、元大坂町奉行役人の大塩平八郎が貧しい人を救おうと反乱を起こした。

天保の大飢饉の米不足は甚大な被害を与え、幕府の収入は減った。水野忠邦はぜいたくを禁止したり、上知令(江戸や大阪周辺の土地を幕府の直轄地にする)などを試みたが、わずか2年で終わった。

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