太宰治の「人間失格」と紫式部の「源氏物語」という腐敗した純文学に思うこと(エッセイ)

私にとって太宰治と紫式部は反面教師である。近年、メディアは太宰治とそのファンに焦点をあてているが、私はこの流行が理解できない。

記憶が正しければ、高校二年生の時に人間失格という本に出会った。そして半分ほど読んだところで言いしれない嫌悪感が芽生えた。森鴎外や芥川龍之介を読んだ時にはまったく味わうことのなかった苛立ちがあり、「なぜ彼はこれほどの演技を全うしたのだろう?」と思った。

太宰治は百年後の若者と同じように、愚劣さを積極的に肯定した

悪人は、わずかな尊敬に足る悪人と、わずかな尊敬も許されない悪人がいる。太宰治は後者の代表例だ。なぜなら悪を肯定しているからだ。

腐敗、堕落、卑屈…ダンテの神曲に出てくるような愚劣な気質を、彼は「人間失格」において適切に肯定し、うぬぼれて陶酔した。人間失格の主人公は幼少期から変質的な存在であり、家族と奇妙な確執を抱えていたが、それは腐敗の言い訳にならない。

巧言令色によって悪を隠蔽できると証明したことで、彼は日本史に悪名を残した。

より恐ろしいことは、太宰治を愛する純文学好きの読者たちが存在することだ。この末期症状は若者特有の悪い習慣、すなわち悪と腐敗を愛でる習慣が作った集団中毒である。

源氏物語は愛の冒涜を「いとをかし」と述懐した

もし源氏物語を崇拝しているなら、正常な思考が欠落している。源氏物語は不幸と堕落の讃歌であり、キリスト教と真っ向から対決する思想を「いとをかし」などと述べている。私はプロテスタントの思想を愛しているので、源氏物語を受けいれることはできない。

自分を愛する者を裏切って快楽に溺れることは許されないが、日本の文学者は許したようだ。源氏物語はひらがなという複雑な道具を分析するツールだから、仕方なく研究の対象にしただけかもしれない。もし清少納言という作者が紫式部を嫌っていたら、清少納言は通常の神経を持っていただけのことだ。

おわり

この二人は極度に女々しく、力強さと理性の欠落した温もりを積極的に肯定した点で似ている。温もりは大切だが、温もりを求めた瞬間に腐敗が始まることは真実だ。そして温もりを捨てた瞬間に健康的な理性が復活することも。

ベッドに寝そべって「いとをかし」、枕に涙を染みこませて「いとをかし」、愛する人と月を眺めて「いとをかし」…。太宰治と紫式部といった作者たちには、トレーニングジムとラジオ体操が必要だったのだろう。

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