インターネットによって民族を超えた大移動が始まった(エッセイ)

SNSのアカウントは私たちの一つの顔になった。社会で建前を作るように、人はアカウントを通して自分の存在を試すようになった。この壮大な実験が知能に植えつけた仮説は「もう一人の自分は具体的である必要がない」というものだ。

しかしテクノロジーは新しい思想をもたらしたと言えるだろうか?

私は岩手という閉鎖的な地方で生まれた。のどかで時間の経過が遅い地域では、人と人の関係がとても密であり、自分は共同体の一部である。日本ではハレとケ、外と内があるというが、地域という空間に属するものどうしに内外の別はない。あるのは運命共同体という精神だけだ。

人は金を求めて都会という開放的で、人と人の関係が希薄な場所を開拓した。ここで人は明確に自分と他人の境界を引いた。目先の利益を求める郊外の不動産会社と建設会社によって土地が細切れにされたように、本来の家族も解体された。

人をばらばらにするのは、経済の要請である。

東京の次に求めた「希薄な空間」はインターネットだ。コンピューターとスマートフォンを買って、アカウントを作って、適当に言葉を垂れ流す。無味乾燥の言葉が交わされるオフィスのランチと同様に、アカウントが悪口を投げあうインターネットが構成された。

こうして私たちは、地域から都会、都会からインターネットと移動した。

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