「日本人は絆が必要だ」という熱い意見は正しいか?

東日本大震災から数年経って、日本人は絆が足りない、とよく言われるようになった。絆が足りないから犯罪が増える、未成年の暴行事件が起きる、電車のマナー違反がよく起きる、という辛辣な意見をたまに見聞きする。絆が足りないから治安が悪くなるのだろうか。

絆が足りない都会と絆がある地域

私は今月八月のお盆休み中、岩手県大槌町にある実家に戻り、一週間ほどのんびりした。古いしきたりが残る、都会や現代から少し隔絶された過疎地域である。人が少ないため、自然に人が集まる。都会の人は想像できないほど、一人の時間がなく、みんなの中で生活しているという意識がはっきりと芽生える。

村のしきたり、イベント、細々とした風習にしたがって生きることは、大変であると同時に、身を任せればそれなりに気が楽になる雰囲気である。合わない人は合わないだろう。

絆という言葉を借りれば、私が帰郷した地域は絆が深い場所だろう。少なくとも東京よりは。東京に住んでいる者としてはっきりわかることは、近所づきあいも共同体におけるつきあいも皆無に等しいことだ。ゴミ出しでルール違反をする人がいても、同じ趣味を持っていそうな人がいても、話しかけることはほとんどない。人は独立して行動し、朝起きて寝るまで、家族を除いて顔をむきあって話す人はほとんどいない。

日本は絆が足りなくなった

多くの都会人は、無用で厚かましい人間関係が休日の自由でのびのびした一人の時間を削ることにひどく恐怖しているだろう。実際、地域によっては休日も同僚のつきあいで、庭掃除をやったり子どもの世話をやったりで辟易している人も多いだろう。

田舎暮らしの人間関係はとてもやっかいである。多くの地域は排他的な社会性を持ち、外部からやってくる人に警戒心を持ち、よそよそしい。

しかし絆はそれを補って余りあるくらい、強い相互的経済力をもつ。小さな村が絆によって経済を成長させていくユニークな例が、岩手県大槌町であった。

岩手県大槌町

私は岩手県釜石市で生まれたが、実家は大槌町にあり、東日本大震災では難を免れた。実家は、正確には母の実家であるが、私は生まれて病弱だったことから、生まれて数ヶ月は大槌町の広い家で過ごすことになった。

今月の帰省中、ある人物の社説が古い倉庫からいくつか出てきた。60〜70年前の記事である。著作権の関係で引用はできない。この社説の主人公は、私のお祖父さんのお祖父さんであり、私は五代目ということになる。以降、主人公を初代当主ということにする。

初代当主は、100年以上前の岩手県を復興させた功労者として天皇陛下から勲章をいただいた人物である。

社説では、初代当主が強力なリーダーシップを果たして、道路などのインフラの整備をおしすすめ、村人全体の労働効率性を上げて外来の資本家に対抗した。このサクセスストーリーを、社説は初代当主の才覚、資金と製品、そして労働者である村民の性質から分析した。

初代当主は明治政府のように近代化を軸に、村全体のあり方を変えていった。きっかけは道の整備だった。

この地域の村民は団結力があり、経済的な苦難をみんなで克服するような連帯感で、全員が一緒に怒涛のように努力した。一度火をつければどこよりも遠くまでいくトラックのようなものである、といった記述が社説にある。

他県に大きく遅れをとっていた村は、村全体が初代当主を中心とした一つの巨大な合資会社になり、大きな成長を遂げた。

私の実家がある地域では今も経済的協調性がある。作物の交換、あいさつ代わりの収穫物の運搬、噂話の中で交わされる建設的な経済的談話。そういったものが積もりに積もって、ゆるやかな経済の連帯をなしている。ここでは完全な孤独はなく、許されることもなく、だからこそピンチのときのセーフティーネットがしっかりしている。

私を含めて、このような地域の人々はおそらく、絆といった言葉や考えを都会人のようにやさしいイメージでとらえていない。絆とは、村全体、自分の家族、そして自分が生きのこるために培われた社会的 DNA である。絆を放棄することは、人間の尊厳をすべて捨てることに等しい。

「日本人は絆が必要か」という問いには「絆を捨てることは、尊厳も生活も放棄したに等しい」と私は答える。

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