Irohabook
連載 ディストピア:格差と監視

ソーシャルメディアと虚無の自律的進化:現実は共同体を解体し、個人は精神世界の部族になる

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社会から政治が抜けて、虚無が自律的に進化する時代になった。節目はリーマン・ショック前後、フェイスブックやツイッターがインターネットの中心になっていく時だ。

インターネットの中心はヤフーからグーグルとアマゾンに移り、日本からフランスの商品を輸入することも簡単になったが、それは人と情報または商品のやりとりにすぎなかった。

Facebook と YouTube が世界的なメディアになると、インターネットは交流の場になった。ここに歴史の分岐点がある。

…この記事は随筆/エッセイです。ディストピアをテーマとしているため、読みたくない方は飛ばしてください。

インターネットは交流を通して思想の同化を促した

交流は文化の本質でありバイラルに文化を形成する。友だちがフェイク・ニュースを流しても、その人とレストランで食べた仲だから、タイムラインからすくいとって目を通してしまう。

そうして右翼や左翼といった思想は日常のタイムラインにほそぼそと流れ、一人ひとりの思想に影響する。やがてソーシャルメディアのフォロー機能は、もやもやとした人たちのゆるい連帯感を作ることに成功した。

同じツイートを拡散する人はきっと自分に似たような価値観を持っているはずだ。帰宅して誰もいない家で、恋人にふられた憎らしい過去を忘れようと、カメラ越しにいる同志と愚痴をこぼす。テクノロジーを使えば、いつも自分の味方はあらわれる。インターネットとは正義の味方なのだ。

…と気づいた人たちが社会の地下でグループを作りはじめた。おそらく2010〜2018年は地下グループが形作られた時期だった。

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現実に戻って個人の解体にめんくらう

夜のチャット、リツイート、返信の瞬間、孤独な人もそうでない人も仮想空間にあるグループのメンバー。しかし朝起きて山手線の電車に乗るや、お金持ちがいて、そうでない人がいて、きれいな人がいて、態度の悪い人がいて、病気を持っている人がいて、いじめる人がいて、人生から逃げている人がいる。

同じ場所にいながらすべての人が自分と散り散りになっていく様子を眺めて、あなたはスマートフォンのゲームに浸ろうとする。

現実の解体と仮想現実の部族化

本当の虚無とは現実と仮想の分裂である。現実はすでに解体しているが、精神世界は粉々に解体されたものがいくつか集まって部族を作っている。

くだらないゲームで遊ぶことは虚無にあたらない。ゲームと異なる引力、例えば少子高齢化、テクノロジー会社の独占、人工知能の発達、地球温暖化、インフラの老朽化といった絶望的な未来が待っていて、虚無と格闘しながら希望にしがみつく人たちがいる横で、それよりもゲームを選ぶという無関心と諦めが、この世界の純粋な虚無である。

希望とともに邁進する人も、夜は楽しく大手メディアのニュースをチェックし、芸能人の発言についてインターネットの仲間と論議する。昼は現実、夜は仮想現実のメンバーになる。虚無はそれ以外を飲みこもうとしている。

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連帯が現実から仮想に移った

現実で声をかけるよりも、仮想空間でメールを送ったほうが簡単だ。フェイスブックが生まれてから、人は数年かけて人間的つながりを現実から仮想に移した。これは民族大移動のような急激かつ決定的な変化で、まずはトランプ大統領を生んだ。その後もそうした影響は続く。

虚無は自律的に進化しつつある。それまでの虚無は神学的絶望感や経済的困窮をもとにしていた。しかし今は実体のない連帯がメンバーに与えるぬくもりが虚無である。

この虚無はジャン・コクトーの「恐るべき子供たち」に登場する恐ろしい子たちの「絆とぬくもり」に近い。外から見ると、狂気という種をせっせと育てているが、自分たちはそれがわからない。

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