高校現代文 二項対立から分析する重要単語と重要テーマ

★は難易度を表します。難易度が低いものは頻出でもあります。

重要単語 ★

具体 ↔ 抽象

具体と抽象は最もわかりやすい二項対立の一つかもしれない。しかし実はこれほど難しい二項対立もない。

私たちは普段、わかりやすい、あるいは身近なものに対して「具体」というレッテルを貼る。そしてわかりづらい、あるいは身近でないもの、ばくぜんとしたものに対して「抽象」というレッテルを貼る。例えば「太郎くん」は具体的で、「社会主義」は抽象的だ。つまり具体と抽象の境界の一つに、物質的であるか物質的でないかというものがある。

具体 … 物質的 抽象 … 非物質的

しかし例えば「社会主義」と「イデオロギー」はどうか。社会主義に詳しい人はおそらく社会主義をある程度具体的なもの、イデオロギーを抽象的なものと認識するだろう。どちらも物質的ではないから先の理屈は通らない。つまり具体と抽象は観念的な集合の中でも存在する厄介な二項対立なのだ。イデオロギーがなぜ社会主義より抽象的かと言えば、イデオロギーが社会主義を含めた高次元レベルでの世界観を示す言葉だからである。

ここに具体と抽象を分ける別の原理が浮かぶ上がる。つまりAとBを並べた時、AがBの要素であれば、AはBより具体的という。

具体 … 要素 抽象 … 要素の親

これは「太郎くん」と「日本人」にも言える。太郎くんは日本人の要素なので、太郎くんは具体的で、日本人は抽象的だ。物質的であっても観念的であっても、要素であるかないかによる違いによって具体的であるか抽象的であるかが決まる。

バーチャル ↔ リアル

インターネットが普及してバーチャルという言葉が使われるようになった。日本語のバーチャルが持つイメージは「仮想」であり、私たちが存在する「現実」の対極とされる。そもそもリアルがあるからバーチャルがあり、最初から二項対立が成立している。

しかし近年、バーチャルリアリティという言葉が出てきて、新しい産業としても注目されるようになった。「バーチャルリアリティってなに?」と思った方は映画「マトリックス」を思い出してほしい。マトリックスの世界がバーチャルリアリティである。つまり現実ではないが、現実のような仮想世界である。

SONYなどがバーチャルリアリティの先駆者となってさまざまな製品をすでに作っている。ヘッドマウントディスプレイはその一つで、頭に装着すると視界に仮想空間が広がって、あたかも別の世界に行ったかのような経験ができる。

これまで技術はあくまでリアルはリアル、バーチャルはバーチャルの中に閉じこもっていたが、バーチャルリアリティという技術が生まれてから、リアルとバーチャルという二項対立を超越する概念が確固としてきた。「バーチャルリアリティ」が大学入試の現代文の一大テーマになってもおかしくない。

重要単語 ★★

演繹法 ↔ 帰納法

演繹法はある前提からある結論を導くこと。高校数学でも最初に公式を習い、それをもとにさまざまな命題を証明する。数学の勉強自体が演繹法と言っても過言ではない。

逆に帰納法はたくさんの事例からある法則を見つけること。これは理科や社会でよく使われている考え方。あらゆるものは落下するという観察から万有引力の法則が生まれたが、これは帰納法の最たる例である。

実は演繹法と帰納法は、原理と現象という二項対立の関数化にすぎない

演繹法 原理 → 現象 帰納法 原理 ← 現象

しかし逆に原理と現象というものを演繹法と帰納法から捉えることもできる。例えば肉眼で把握できないものを現象として捉える時、私たちは演繹法によってある原理を満たすものを現象と定義できるのだ。例えば遠くにある星の大きさを調べる時、直接は把握できないからいろいろな観察データを天体の理論にかけて算出する。観察データ自体は現象に違いないが、星の大きさは(私たちにとっての)直接的な現象とは言えない。しかし理論という原理があるおかげで、直接的とは言えない現象に現象としての妥当性を注入できる。これはまさに「演繹法が妥当な思考法だから」である。もし演繹法が間違っていたら、星の大きさはどんなやり方でも測定できない。

ハレ ↔ ケ

入試でよくテーマになるハレとケはもともと柳田国男が日本人の世界観を分析するために用いた概念で、非日常と日常のこと。

ハレ … 非日常 ケ  … 日常

晴れの舞台という言葉がある。これはハレの舞台であり、非日常の舞台である。私たちはハレとケにおいて立ちふるまいから言葉まで変える。お祭りで神輿をかついでいる時、普段は温厚な人も「それそれ!」と声を張り上げる。これはハレだからだ。