ドイツの歴史をざっくりわかりやすく解説

4世紀頃からゲルマン人の移動が始まり、481年にクロヴィス(メロヴィング朝)がドイツ周辺にフランク王国をつくった。メロヴィング朝のフランク王国は、現在のドイツ、フランス、北イタリアあたりを支配していた。

フランク王国(481〜887)

出来事
481 クロヴィス、フランク王国をつくる
800 カール大帝、西ローマ皇帝になる
843 ヴェルダン条約でドイツの原形ができる

クロヴィスがつくりあげたフランク王国は勢力を拡大し、カール大帝のときに現在のヨーロッパの大半をおさめた。800年、カール大帝は教皇レオ3世から西ローマ皇帝に任命される。

843年、ヴェルダン条約によりフランク王国は西フランク王国、東フランク王国、中フランク王国に分割された。それぞれは現在のフランス、ドイツ、イタリアになった。

西フランク王国→フランス
東フランク王国→ドイツ
中フランク王国→イタリア

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東フランク王国

ドイツそのものの歴史は東フランク王国から始まる。東フランク王国の国王オットー1世は、962年にローマ・カトリック教皇から皇帝に任命される。

以降、東フランク王国(ドイツ)は神聖ローマ帝国といわれるようになった。

神聖ローマ帝国

神聖ローマ帝国は他国に比べて、諸侯(地域の権力者)が力を持っていた。イングランドなどと違い、一つのまとまった国というよりは、ドイツにたくさんある地域がゆるくつながった連合のようなものだった。

神聖ローマ帝国はマインツ、ケルン、ザクセン、ブランデンブルクといった地域からなる。これらの地域は現在のドイツの州や都市の名前にも使われている。

もともと神聖ローマ帝国の外にあったプロイセンは、18世紀頃から力をつけていきドイツ周辺の有力諸侯になった。

ナポレオンがヨーロッパに戦争をしかけていくなか、ライン同盟をきっかけに神聖ローマ帝国は消滅した。

ウィーン体制

ウィーン体制はナポレオン戦争後の各国の勢力バランスをいう。この頃、プロイセンは事実上ドイツの最有力諸侯だった。

この頃、オーストリアとプロイセンはそれぞれ違う形でドイツ統一を目指すようになる。

オーストリア…大ドイツ主義
プロイセン…小ドイツ主義

ドイツはオーストリアをふくむという大ドイツ主義と、ドイツはオーストリアは除くという小ドイツ主義の対立が起きる。

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ドイツ帝国(1871〜1918)

プロイセンの首相ビスマルクは、政治と経済の両面からドイツ統一を目指し、プロイセン・オーストリア戦争などを経てドイツ帝国ができる。

第一次世界大戦に敗北したことをきっかけにドイツ革命(1918年)が起きると、当時の国王ヴィルヘルム2世は国外に亡命。ドイツはヴァイマル共和制に移行する。

ヴァイマル共和政(1919〜1933)

ヴァイマル共和政のドイツは、大戦後の賠償金と1920年代の世界恐慌に苦しみ、極端な不景気に陥った。

ヒトラー政権

省略。

東西ドイツ

第二次世界大戦後、ドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連に分割統治されることになった。しかし資本主義と社会主義の対立が明らかになると、アメリカ、イギリス、フランスは分割統治をやめ、ボンを首都とする西ドイツを発足させた。

西ドイツはすぐに北大西洋条約機構(NATO)や欧州経済共同体(EEC)に加盟した。

ドイツ連邦共和国

1989年、ベルリンの壁が崩壊すると、1990年に東西のドイツが統一されて現在のドイツ(ドイツ連邦共和国)ができた。2018年現在、首相はメルケル。

メモ

ドイツは首相の他に大統領がいる。ドイツは首相が政治的に実権を持っています。大統領は名目上の代表です。

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