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アメリカの歴史をわかりやすくざっくり解説

現在のアメリカはコロンブスがアメリカ大陸を発見してから始まりました。その後、16世紀頃からスペイン、イギリス、フランスなどの国が競うようにアメリカを開拓していきますが、植民地の中心はニューヨークなどを中心とする東海岸でした。

イギリスとフランスの対立

アメリカの植民地支配はイギリスとフランスが中心で、18世紀になると対立が激化します。1756〜1763年の七年戦争はヨーロッパ各国による戦争から世界規模の戦争に発展し、結果的にアメリカの歴史を作ることになりました。

七年戦争のうち、アメリカを舞台にした戦争をフレンチ・インディアン戦争といいます。フレンチ・インディアン戦争によりイギリスはフランスに優位に立ち、アメリカ東海岸(アパラチア山脈から東)はほぼイギリスの植民地となりました。

本国と植民地の対立

イギリスとフランスの対立の次は、イギリス本国とイギリスのアメリカ植民地の対立です。イギリス本国は植民地の住人に重い税金を課しており、18世紀後半頃から植民地人は本国に不満を持つようになっていました。

住民はやがて暴動を起こすようになり、1773年にボストン茶会事件が起きました。この事件は「植民地人の本国に対するいらだち」が爆発した事件です。

独立戦争

不満が頂点に達し、1775年にアメリカ独立戦争が起きました。1776年、アメリカにあった13の植民地はイギリスからの独立を宣言(アメリカ独立宣言)し、現在のアメリカ合衆国が生まれました。

18世紀末、ナポレオンがヨーロッパの支配を進めると、疲弊したヨーロッパ各国はアメリカから撤退し、アメリカは西から西に土地を獲得していきました。

フロンティア

アメリカの西部開拓は住人の前向きな精神を作ると同時に、金の発見ももたらしました。カリフォルニアで金脈が見つかると、多くの住人が東からカリフォルニアまで移動しました(ゴールド・ラッシュ)。

保護主義と自由主義の対立

西部開拓(フロンティア)が進む一方、アメリカは北部と南部で産業の分化が進んでしました。北部は工業、南部は農業(綿花など)が中心で、南は黒人の奴隷を労働力としていました。

産業革命が進む北部にとって、イギリス製品は競合・脅威であり、保護貿易の政策を目指していましたが、南部は綿花を自由に輸出したいために自由貿易を目指していました。

北部と南部の対立は、フロンティアで獲得する西の土地の奪い合いにつながり、北部と南部の溝は深まっていきます。

北部 … 工業中心・保護貿易主義
南部 … 農業中心・自由貿易主義

南北戦争

1860年の大統領選挙でリンカーンが勝利すると、これをきっかけに南部は北部からの独立し、アメリカ連合国を宣言しました。リンカーンは北部の代表であり、奴隷の解放を訴えます(南部が奴隷を労働力としていたことを思い出してください)。

北部と南部の対立は1861年から始まる南北戦争に発展し、最終的に北部の勝利に終わりました。

資本主義

フロンティアで住人の移動がさかんになると、人を運ぶ鉄道が巨大な産業に発展します。19世紀後半から20世紀にかけて鉄、原油、電気、そして自動車がめざましく発展しましたが、第一次世界大戦までヨーロッパやアジアの政治からは比較的距離をおいていました。

一方、ヨーロッパと日本を含むアジアは互いに戦争をくりかえし、第一次世界大戦を経て、アメリカとそれ以外の国で国力に差がついていきます。1920年代、アメリカの経済は黄金期をむかえます。

世界恐慌

第二次世界大戦を引き起こすきっかけになった世界恐慌は、ニューヨークでの株価暴落(1929年10月)から始まりました。アメリカは一転して不況になりますが、ヨーロッパと日本も大きな傷を受け、第二次世界大戦に向けて準備を進めるようになります。

第二次世界大戦

第二次世界大戦が始まっても、戦争の中心はイギリスとドイツにあり、アメリカはヨーロッパとアジアでの戦争を傍観していました。しかし1941年、日本が真珠湾を攻撃すると、アメリカは日本に宣戦布告し、事実上アメリカは第二次世界大戦に巻きこまれていくことになります。

冷戦

第二次世界大戦が終わると、次の対立は資本主義と共産主義になります。第二次世界大戦中、イギリス、アメリカ、そしてソ連はドイツに勝利するために協力しますが、戦争が終わると、アメリカを中心とする資本主義と、ソ連を中心とする共産主義に世界が二分されました。

アメリカとソ連の対立は戦後ドイツの処理、朝鮮戦争、ベトナム戦争などに表れましたが、アメリカとソ連が直接戦争をすることはありませんでした。

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