フッサールの哲学(高校倫理で最もわかりにくい思想)

フッサールは現象学という分野を作ったと考えられています。

フッサールの考えを大胆に解釈すると、私たちは自然(世界)というものを色眼鏡で見ていると要約できます。世界とはこうである、世界とはこのようなものからできていると、ある種の思いこみによって世界を認識する。フッサールは、このような態度を改めて、世界という現象そのものを認識することが重要だと説きます。

私たちは次の世界観を当たり前だと思っています。

1 自然は原子から成り、原子が集まって分子や大きな物質になり、それがさらに集まってさらに大きな物質や生物になる。

2 勤勉は善であり、テストでいい点をとることも善である。

3 人間は考えるが、他の動物は考えない。

原子が集まって物質ができることも、勤勉が善であることも、人間は考えるという事実も、すべてある人の世界においては正しく、妥当なことかもしれない。しかしそれは世界そのものを記述しているわけではない。円すいを横から見て「これは三角形だ。そうに決まっている」と思っても、上から見て「あ、本当は円すいだった」と思うように、その人自身もまた、考え方を変えることによって見える世界も変わってきます。

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フッサールは、「世界はこうである」という判断を停止することの重要性を主張しましたが、この「判断停止」という言葉はしばしば高校倫理で扱います。判断停止はエポケーともいいます。

 判断停止 =エポケー  =ひとりよがりの世界観を捨てる

判断停止によって人は世界という現象そのものを考察することができる、あるいは可能になると考えられます。

フッサールの思想を受け継いだ人

フッサールは芸術などのいろいろな分野に影響を与えましたが、高校倫理ではメルロ=ポンティがフッサール現象学を受け継いだということになっています。つまり現象学といえば

フッサール メルロ=ポンティ

といえます。ただし現象学という哲学はとても境界がありまいで、現象学の哲学者はこの人、この人は現象学ではない、という言い方はなかなかできない。

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