鎌倉時代の解説と問題(執権政治と元寇)

1192年に源頼朝が鎌倉幕府を開いてから、1333年に後醍醐天皇が建武の新政を開始するまでの100年少しを鎌倉時代という。

鎌倉時代は

・執権政治
・元寇(げんこう)
・足利尊氏たちに幕府が滅ぼされる

という三つの時代に分かれている。

執権政治の始まり

鎌倉時代では、始めから御家人(将軍の家来)が強い力を持っていた。中でも北条氏が強い権力を持ち、北条時政は源実朝を三代将軍に推して権力を握り、執権という形で政治を行った。

1219年、源実朝が公暁(くぎょう)に暗殺される事件によって幕府の秩序が乱れると、後鳥羽上皇はこれを倒幕のいい機会として挙兵する。

1221年、承久の乱で後鳥羽上皇は北条家に敗れ、島流しになった。承久の乱の後、幕府は京都に六波羅探題をおいて朝廷を監視し、朝廷の政治にも関わるようになる。

三代執権の北条泰時は御成敗式目(ごせいばいしきもく)を制定し、国内の治安を整えていった。

13世紀頃、モンゴルを治めていたチンギス・ハンは中国、中央アジア、東ヨーロッパを征服し、アジア・ヨーロッパ大陸の大半を支配した(モンゴル帝国)。

その後、チンギス・ハンの孫、フビライ・ハンは中国を支配して国号を元とした。

1274年 文永の役

北条時宗が執権だった1274年、フビライ・ハンは日本を征服しようと3万の兵を連れて日本の博多湾に上陸するが、日本は侵略を防ぐことに成功する。これを文永の役(ぶんえいのえき)という。

この後、幕府は九州北部の沿岸に石の壁、防塁(ぼうるい)を作り、九州北部の警備を強化した。

1281年 弘安の役

1281年、元は再び日本に攻めるが、前回の元寇の後に作られた防塁によって上陸できず、北九州を襲った暴風雨によって元軍は壊滅し、日本は勝利した。これを弘安の役(こうあんのえき)という。

戦争に勝利したものの、日本が得たものは何もなく、実際に戦った御家人たちには幕府の恩賞はほとんどなかった。これが御家人の大きな不満になり、やがて倒幕につながった。

倒幕

御家人たちが幕府への反感を強める中、後醍醐天皇足利尊氏楠木正成新田義貞と協力し、1333年に鎌倉幕府を倒した。

※読み

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
足利尊氏(あしかがたかうじ)
楠木正成(くすのきまさしげ)
新田義貞(にったよしさだ)

鎌倉時代の経済

鎌倉時代は農業が発達し、西日本を中心に二毛作が広まった。二毛作とは同じ土地を一年で二回利用する栽培法のこと。一般的には夏に米を作り、冬に麦を作る。また農耕の器具や方法も発展した。

商人が商品を売る店(見世棚)、商人の団体(座)などが生まれた。

一方、御家人は元寇などによって疲弊し、経済的に苦しんでいた。幕府は御家人の借金を帳消しにする永仁の徳政令を発布するが、御家人の不満はおさまらなかった。

鎌倉時代の文学

鎌倉時代には徒然草などの有名な文学が多く生まれた。

作者 作品
吉田兼好 徒然草
鴨長明 方丈記
後鳥羽上皇 新古今和歌集
琵琶法師? 平家物語

問題

問1 鎌倉時代、外国の大軍が日本を征服しようと北九州に攻め入ったが、これを漢字二文字で何というか?

問2 鎌倉幕府から朝廷に実権を戻そうと挙兵したが、失敗して隠岐に流された人物は誰か? またその人物が編纂した代表的な著作物の名前を漢字で書きなさい。

問3 弘安の役は何年に起きたか?

問4 守護と地頭の任務を明らかにした武士・御家人社会の制度の名前を漢字で答えなさい。

問5 承久の乱の後、幕府が朝廷を監視するために設置した役所は何か?

問6 鎌倉時代中頃から農業が発展し、現在でも行われている◯◯◯が普及したことで麦なども生産されるようになった。◯◯◯に入る言葉を書きなさい。

問7 三代将軍の源実朝は誰に殺害されたか?

問8 文永の役は当時の執権にいた人物が元の要求を断ったことから始まったとされるが、その人物は誰か?

解答

問1 元寇

問2 後鳥羽上皇、新古今和歌集

問3 1281年

問4 御成敗式目

御成敗式目は守護と地頭の任務を明確にした。

問5 六波羅探題(ろくはらたんだい)

承久の乱は後鳥羽上皇が幕府に抗った戦い。この内乱以降、幕府は朝廷の動きを監視するために六波羅探題を京に置いた。

問6 二毛作

二毛作とは一年に二つの異なる作物を作ること。

問7 公暁

問8 北条時宗

元は日本にたびたび挑発的な文書を送りつけて元に従うように命じたが、執権の北条時宗がこれを拒否したため、元は武力による日本支配をもくろんだ。

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