鎌倉幕府の滅亡と後醍醐天皇の建武の新政

概要:
鎌倉幕府の政治に不満をもつ御家人が増えると、後醍醐天皇は権力を朝廷に戻そうと反乱を起こした。正中の変などの失敗を経るが、やがて足利尊氏、楠木正成、新田義貞とともに鎌倉幕府を滅ぼす(1333)。

その後、後醍醐天皇は建武の新政と呼ばれる朝廷中心の政治を行うが、御家人や武士の不満はおさまらなかった。

朝廷と幕府の混乱

後嵯峨天皇の後、朝廷は持明院統(後深草天皇系)と大覚寺統(亀山天皇系)の二つの血筋に分かれた。天皇はそれぞれの系統から即位することになり、朝廷内部が分裂状態になる。幕府はさながら朝廷の抗争を調停するような役目を担っていたが、幕府自体も長崎高資(ながさき・たかすけ)などに実権を奪われて混乱していた。

系統 天皇 即位年
- 後嵯峨天皇 1242-1246
持明院 後深草天皇 1246-1260
大覚寺 亀山天皇 1260-1274
大覚寺 後宇多天皇 1274-1287
持明院 伏見天皇 1287-1298
持明院 後伏見天皇 1298-1301
大覚寺 後二条天皇 1301-1308
持明院 花園天皇 1308-1318
大覚寺 後醍醐天皇 1318-1339

得宗専制政治を代々続けてきた北条家は、第14代執権の北条高時のとき、北条家に代わって権勢をふるう長崎高資によって危機をむかえた。北条高時の次の執権をめぐって長崎高資と安達氏が対立し、幕府の秩序が乱れたところで後醍醐天皇が蜂起することになった。

後醍醐天皇:
後醍醐天皇

後醍醐天皇の反乱

大覚寺統の後嵯峨天皇は朝廷の混乱状態と幕府の干渉を排除するため、さまざまな施策をおこなう。やがて倒幕を決意し、1324年に正中の変、1331年に元弘の変を起こす。

正中の変は未然に阻止されたが、後醍醐天皇の側近は島流しにあっている。しかし元弘の変は比較的大きな反乱であり、朝廷軍と幕府軍が実際に衝突した。このとき足利尊氏と新田義貞は幕府側にいたが、楠木正成は後醍醐天皇側にいた。

二つの反乱は失敗に終わり、後醍醐天皇は失脚して隠岐(島根県北部の島)に流されてしまう。代わりに持明院統の光厳天皇が即位した。しかし楠木正成などの反幕府側は関東から離れたところで力をつけていた。1333年、後醍醐天皇が隠岐から脱出したことをきっかけに、足利尊氏は幕府に背いて六波羅探題を攻めた。新田義貞は関東で挙兵し、北条家と長崎家を攻めて鎌倉幕府を滅ぼした。

建武の新政

鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇は1334年に年号を建武に変えて「建武の新政」を開始した。後醍醐天皇は、藤原氏の摂関政治が本格的に始まる前の天皇中心の政治を目指していた。建武の新政は中央に雑訴決断所(土地の所有権などを解決するもの)を置くなど政治的刷新を試みたが、地方は旧来の政治を受けつぐような形だった。

中央:
雑訴決断所
記録所

地方:
鎌倉将軍府
陸奥将軍府
国司・守護

鎌倉時代から室町時代にかけて日本に発生していた問題は土地の相続である。特に嫡子(正室の子)と庶子(非正室の子)の間で発生する土地の相続問題は全国的に深刻になっていた。鎌倉幕府後期になると嫡子がすべての土地を相続する単独相続が主流となったが、これは同時に家督をめぐって家内部が対立する状況を生みやすくしていた。いわゆる惣領制の崩壊である。

惣領制の崩壊によって土地所有をめぐる問題が頻発していたことを受けて、建武の新政では雑訴決断所が創設されたが、足利尊氏の力がついてくると崩壊した。

南北朝時代

1336年、足利尊氏は光明天皇(持明院統)を即位させると同時に建武式目を出し、新しい幕府(室町幕府)の方針を発表した。1338年、足利尊氏は征夷大将軍に任命される。

光明天皇:
光明天皇

室町幕府の「室町」は足利義満が政治をおこなった京都の室町という地名に由来する。

京都で支配的な立場になった足利尊氏をおそれて、後醍醐天皇は南の奈良に逃れた。北(京都)は持明院統、南(奈良)は大覚寺統と明確に分裂し、南北の朝廷はそれぞれ天皇を即位させることになった。

しばらく政治的な対立が続くが、1350年に観応の擾乱(かんおうのじょうらん)といった武力衝突が起きた。地方では、土地所有をめぐって対立しやすい状態にあった武士たちが北朝と南朝の側に立つような形で衝突した。

1382年に北朝で後小松天皇が、翌1383年に南朝で後亀山天皇がそれぞれ即位する。足利義満が全国的な支配を強める中、1392年に後亀山天皇が正式な天皇位を後小松天皇に譲ったことで、南北朝時代は終わった。

問題

  1. 足利尊氏や楠木正成らとともに挙兵し、関東の北条家を滅ぼしたものは誰か。
  2. 建武式目では(  )という機関をもうけて土地などの訴訟問題を扱った。
  3. 鎌倉時代後期、持明院統と(  )は対立するように天皇を即位させていた。
  4. 第14代執権の(  )の後継をめぐって幕府で混乱が起きた。
  5. 元弘の変で後醍醐天皇が流された島を答えなさい。

解答

  1. 新田義貞
  2. 雑訴決断所
  3. 大覚寺統
  4. 北条高時
  5. 隠岐

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