高校生が大学の数学を勉強することについて

この記事は大学の数学を勉強している高校生や中学生に向けて書いたものです。

私は数学偏重の授業は間違っているという記事を書きました。私は毎月一つか二つこのようなエッセイを書いていますが、書いてから一月くらいすると考え方が変わっています。上に紹介した記事では英語と歴史の重要性を述べていますが、数学をないがしろにしているわけではありません。

数学はとても重要な分野です。そしてとてもやる気のある一部の高校生が、高校で習う数学に飽きてしまって、もう少し進んだ数学を勉強することについて賛成します。

理論的な数学は利益になりにくい

私はとても経済的な立場にたっています。半分以上の数学者は私に同意すると思いますが、数学は利益になりません。ただし数学が金融やコンピューターに結びついたときに利益になります。

20世紀のはじめに集合論が本格的に作られました。集合論はいろいろな分野の基本になっています。これを読んでいる人もきっと集合と位相について知っているでしょう。

20世紀の中頃になると、集合論はとても抽象的な方向に進み、圏という分野が発展しました。今ではさらに抽象化されたものが生まれ、研究されているでしょう。私は、集合論や圏論がなにも生まないといっていません。ただし、こうした極端に抽象的な分野に、10代のとても貴重な時間が注がれることはよくないと言いたいだけです。

抽象的な分野は金融やコンピューターと結びつきにくいのです。関連しないとは言っていません。数学はすべて関連し、余計な分野など存在しないのです。実利をともなう分野とそうでない分野が明確にあるという話をしているにすぎません。

数学は学問の女王ではない

数学は学問の女王、数論は数学の女王という言葉があったと思います。数学や物理を勉強している人に多いのは、数学は科学のてっぺんにあると誤認していることです。私は数学を専攻した人間として、数学が科学の言葉であるというありふれた話は間違っていると確信しています。

残念ながら、数学は他の学問と差がないのです。言語、物理、化学、生物、宇宙、コンピューターといった学問と同じように自然的であり、人工的なのです。なぜなら、数学はあらゆる学問に応用され、同時にあらゆる学問からフィードバックを受ける学問だからです。この相互依存性を認識できないかぎり、数学をまともに考えることはできないでしょう。

学生の時間は言語やコンピューター、理科や社会といったあらゆる学問に使われるべきです。スポーツに打ちこむことも悪い選択では決してありません。私たちの理性は肉体と分かれていません。むしろ一心同体に生きています。

あなたは数学の天才には決してなりえない

とても挑発的なサブタイトルですが事実です。数学的な脳がとても発達している人の多くは「自分は天才である」とどこかで考えています。これは私が数学科に入ってわかったことですが、多かれ少なかれ、自分は本当に優れていると錯覚している人は多いと思います。

なぜなら自分は数学を理解することにおいて他人と違うとはっきり認識しているからです。東京大学にいる学生の中でも、数学科や物理学科にいる人の一部はそうした自覚があるでしょう。差異が明確にあり、差異を明確に意識しつづけたために、そしてなによりも学問のほうが自分に接近している感覚があるため、自分は天才であると考えるのです。

しかし不幸なことに、数学を研究することが許される天才はほとんどいません。天才だという自覚があり、それに近づくために数学を学んでいる人がいれば、その人は完全に間違っています。その人たちは確かにとても優秀ですが、コンピューターには完全に敗北しているのです。

現代数学は100年前の数学と違います。もはや数学という一つの分野ではなく、数学は一つの抽象的な集合名詞になっています。壮大な論文を書くことはほぼできないでしょう。現代人はポアンカレにもガウスにもなれないということを、これを読んでいる熱心な学生に知ってほしいと思います。

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