明治時代まとめ 明治維新から日清・日露戦争まで

明治時代はたくさんの出来事が重なって起きるため

・戦争
・国内の政治
・技術・文化

の三つに分けて考えます。

幕末によって江戸幕府が倒れ、代わりに明治政府が生まれました。明治政府はイギリスなどの外国に対抗するため、富国強兵と殖産興業をスローガンに日本を強くしていきます。八幡製鉄所や富岡製糸場などの大規模な工場が作られたり、東京に鉄道がしかれたりしました。

製鉄所、鉄道、銀行、郵便、電話、小学校、大学、新聞といったあらゆるものが生まれたおかげで、日本は他国に負けない国力をつけることに成功し、日清・日露戦争に勝利する土台が整いました。国内の政治で成功したからこそ、戦争でも成功したといえます。

戦争

明治時代に起きた戦争は日清戦争と日露戦争の二つ。特に日露戦争はその後の世界に大きな影響を与えたことからテストや入試でよく出る。

1894年 日清戦争

1894年に起きた日清戦争は日本と中国が朝鮮をめぐって対立した戦争です。もともと朝鮮は中国(当時は清という名前)と朝貢関係にあり、清に従うような形をとっていました。朝鮮への影響力を高めたかった当時の日本は、朝鮮から清を排除しようと日清戦争を引き起こしました。

日清戦争で日本は勝利し、日本の伊藤博文と陸奥宗光(むつむねみつ)と清の李鴻章(りこうしょう)の間で下関条約が結ばれました。この下関条約で清は朝鮮の独立を認め、さらに日本に遼東半島(りゃおとんはんとう)を渡しました。

しかしここで思わぬことが起きます。ロシアとフランスとドイツの三国が遼東半島の割譲(かつじょう※)を認めず、清に返還するように日本に求めたのです。これは三国干渉と呼ばれます。日本はしぶしぶこれを認め、遼東半島を清に返しましたが、以降日本とロシアは対立を深めます。

割譲とは、土地などを渡すこと。

1904年 日露戦争

日露戦争が起きる前、日清戦争で負けた清はロシアなどのヨーロッパ各国に支配されるようになってしまいました。これは中国分割と呼ばれます。中でもロシアは中国東北部の満州という地域を支配しましたが、これにイギリスとアメリカが反対しました。

また満州の下には朝鮮があり、日清戦争勝利によって朝鮮への影響力を強めていた日本にとって、ロシアの南下は認められないものでした。

日本とイギリスは日英同盟を結び、ロシアに満州支配を止めるように説得するも、ロシアはこれを拒否。こうして日露戦争が始まりましたが、当時のロシアは列強の一国であり、明治維新によって近代化したばかりの日本は苦戦を強いられます。しかし日本海において日本海軍がロシア海軍を破ったことをきっかけに、日本はロシアに勝利しました。

日露戦争後、日本(代表は小村寿太郎)とロシアはポーツマス条約を結びますが、日本は清の旅順・大連と樺太の北緯50度以南を手に入れただけで賠償金をまったくとれませんでした。当時の日本人はこれに激怒し、日比谷焼打事件などが起きました。

1910年 韓国併合

日露戦争のポーツマス条約によって日本の韓国への影響力は確かなものになり、ついに日本は韓国を植民地化しました。これを韓国併合といいます。

なお、日清戦争と日露戦争の年号、条約名、代表者名は中学入試で頻繁に出題されます。整理するとこのようになります。

年号 戦争 条約 日本代表
1894年 日清戦争 下関条約 伊藤博文

陸奥宗光
1904年 | 日露戦争 | ポーツマス条約 | 小村寿太郎

国内の政治

徳川家康、秀忠、家光の三代将軍が武家諸法度や参勤交代を制定して全国を支配したように、新しくできた明治政府もまたいくつかの制度を通して全国を支配しました。それが廃藩置県、地租改正、そして大日本帝国憲法。まずはこの三つをおさえることが大切です。明治政府が明治政府として本格的に機能するのは廃藩置県が終わってからです。

1871年 廃藩置県

江戸時代、各地域は藩という形で大名に治められていました。例えば島津家は薩摩藩(鹿児島県)を、毛利家が長州藩(山口県)を治めていましたが、明治政府はこの藩制度を解体し、明治政府に任命された知事が各地域の行政を行うようにしました。そして藩という旧式の名前を廃止し、新たに県という名前に変えました。薩摩藩は鹿児島県に、長州藩は山口県に、土佐藩は高知県になりました。

それまで各藩を統治していた大名は地域を追い出されるような形で東京にやってきます。こうして明治政府は全国をまとめ上げることに成功したのです。

廃藩置県が行われる前までは明治政府はいわば江戸幕府の代わりにすぎず、地方はあいかわらず各大名によって統治されていたため、明治政府に代わる政府が別のところで生まれる可能性もあったわけです。廃藩置県が行われたことでようやく明治政府は日本のすべてを統治する大きな政府となりました。

1873年 地租改正

江戸時代まで農民は各地の大名から土地を借りて、米などを耕し、年貢を納めていました。農民はその土地を勝手に売ることはできず(田畑永代売買の禁止令)、決められた作物以外の作物は作ってはいけませんでした(田畑勝手作りの禁止令)。農民は土地を持っているようで持っていなかったのです。

明治政府は田畑永代売買の禁止令と田畑勝手作りの禁止令を廃止し、地券を発行して農民に与えました。地券はその土地を持っているという証明書です。地券の発行によって農民は土地を持つことができるようになりました。

地券を与えられた農民は、それまでの大名でなく明治政府に税金を払うことになります。江戸時代の税金は米などの作物でしたが、明治政府になって税金が貨幣になりました。

地租改正は以下のようにまとめられます。

・地券を与えられた農民が明治政府に税金を払う
・税金は米でなく貨幣とする

1889年 大日本帝国憲法

憲法は国の最高法規です。国がどのような国になるか、国のあり方を決めるものが憲法といえますが、明治政府のあり方を決めることになった大日本帝国憲法は1889年に完成しました。憲法ができて政府ができたのでなく、政府ができてから憲法ができたという順番はよく理解しましょう。

では大日本帝国憲法によって明治政府はどのような形になったのでしょうか?

・天皇に大きな権力が与えられた
・衆議院と貴族院からなる帝国議会ができた
・人々が政治に関わるようになった

の三つがあげられます。

最も重要なポイントが天皇。憲法によって天皇は陸海軍の統帥権を持つようになりました。また議会というものができました。議会はさまざまな法律を作る場所です。

さらに選挙制度が生まれたおかげで人々が政治に関わるようになりました。それまで明治政府は薩摩藩や長州藩などの藩士たちが中心にいましたが、ここから少しずつ一般の市民が政治に参加し始めます。

とはいえ選挙制度は不十分で、現在のきちんとした選挙制度が整うまで五十年以上の年月が必要でした。

明治時代に発展した技術と文化

明治時代に起きた日清戦争と日露戦争を直接支えたものは日本の貿易と重工業です。

貿易(生糸・綿糸・綿織物)

大規模な工場(富岡製糸場)

産業革命

鎖国が終わり、各国と貿易がさかんになってくると、日本は生糸と綿糸と綿織物を大量に生産し、大量に輸出するようになります。

各地に大規模な紡績工場(綿糸などを製造する工場)が作られましたが、その一つに富岡製糸場があります。富岡製糸場は世界遺産に認定されたのでテストに出やすいでしょう。

逆に各地に工場ができると貿易もますますさかんになりました。

重要なポイントは富岡製糸場などの工場が機械を用いていたことです。機械を用いることで商品をより大量により安く生産することができます。富岡製糸場のような『機械を用いた工場』によって国の産業が発展することを、産業革命といいます。『機械を用いた工場』による工業を工場制機械工業といいます。工場制機械工業という言葉も必ず覚えましょう。

明治時代初期に産業革命が起きたことで、日本国内にたくさんのお金が流れるようになり、大きな会社が生まれてきます。これらの会社はやがて鉄や船といった戦争に必要になるものを着々と作り始めていきます。

産業革命によって日本の各地に製鉄所が作られました。その一つに八幡製鉄所があります。

文化

明治時代はいろいろな文化・作品が生まれましたが、特に福沢諭吉と夏目漱石は有名です。

福沢諭吉は『脱亜論』を著し、日本はアジアを脱して欧米の大国と同等にならなければいけないと主張しました。明治時代の文化人と著作をまとめてみます。

作者 作品
福沢諭吉 脱亜論
夏目漱石 吾輩は猫である
森鴎外 舞姫
与謝野晶子 みだれ髪
樋口一葉 たけくらべ