文部科学省に提案したい「小学校における問題解決能力の育成とプログラミング教育」の具体的中身

文部科学省は4月19日、「小学校段階における倫理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議の設置について」と題するページに、有識者会議の趣旨等を掲載しました。

まず注目した言葉が「倫理的思考力」。とても素晴らしい表現だと思いますね。「論理的思考力」という言葉でなかった点に明るい未来を感じました。

「この人の言いたいことはよくわかるが、何か納得できない。論理的でつじつまも合っているだろうが、なぜか賛同できない」

という場面がよくあります。これは気持ちのない、もっと端的に言えば倫理性を感じない論理的思考力の押しつけに、人間という生き物は共感しないからです。論理的思考力という言葉は一人歩きして(特に意識の高い大学生から)重視されている傾向がありますが、倫理的思考力という別の言葉が出てきたことでそういった意識が変わるかもしれない。

問題解決能力の育成とプログラミング教育の具体案

  1. 算数の時間数を減らす
  2. 討論・グループディスカッションの授業を作る
  3. 国語の音読中心の授業を作文中心の授業にする
  4. プログラミング教育は不要
  5. インターネットリテラシーの教育は必要

算数の授業時間が多すぎる

大学で数学を専攻して数学を軽視するような発言をしてしまう人間は私くらいだと思いますが、算数と数学の授業時間は今より減らしても問題ないような気がします。

なんとなく「算数と数学ができる人は頭がいい」と思っている人がいますが、それはまったくありません。算数と数学ができることと頭がいいことはほとんど関係しない。だからといって国語のペーパーテストができる人が頭がいい人かというと、そうでもない。

時代が要求している「頭がいい」の定義はとっくに変わっていると思います。それは計算速度でも速読力でもなく、「相手を不快にさせないコミュニケーション力」や「客観的に自分を認識し、改善できる能力」や「人の気持ちを思いやりながら自分を主張できる力」といった総合的な力です。

四年生になると難しい割り算の計算が出てきて算数の成績に差が出てきますが、四年生で勉強する必要がどこにあるのか? ひょっとしたら本当に必要なものかもしれませんが、もう少し吟味していただきたいところです。一時期、台形の面積を教えないという方針に世論と評論家が反発しましたが、私は台形の面積を教えないことがそこまで批判されるべきものとは思いません。

算数はある程度論理的な思考力を養いますが、一定のレベルを超えるとすぐにクイズっぽい要素が出てくる。算数でしか通用しないテクニカルな要素がすぐに出てくる。そういったものを少し省くと、問題解決能力の育成に使える時間が確保できると思います。

討論とグループディスカッション

問題解決能力を育成の具体的な授業として討論とグループディスカッションがあります。

討論とグループディスカッションによって

  1. 自分の意見を正しく伝える力
  2. 他人に批判された時にそれを(一度でも)受け入れる力
  3. 人の気持ちを想像する力
  4. 客観的に環境を把握する力

がつきます。討論すると、例えばその人が客観的に自分と他人とその場全体を見ているかどうかがすぐにわかります。グループディスカッションで司会を進行する役になった人は可能な限り全員から意見を引き出すべきです。仲がいいという理由で同じ人の意見を引き出し、全体の意見にしようとしたら、場や環境を把握する力に欠けている証拠。

意見を言うだけの役の人も、どこで自分の意見を切り出すか、誰に賛成し、誰に反対するかといったところで、相手の意見や気持ちをきちんと理解しているかどうか、自分の意見を正しく伝えているかどうかがわかってしまう。「この子が言ったから、この意見は正しいだろう」と考えて、その子の意見をさも自分の意見のように言ったら、それは自分の意見を正しく伝えているとは言えない。

音読から作文にする

小学校の教育において最も歪に感じる点は国語のリーディング中心の授業。

もちろん学校によってかなり異なると思いますが、私の学校では完全に国語の授業=音読+読解でした。作文は宿題でたまに課されるだけで、ほとんどない。インプットばかりでアウトプットがほとんどない。

作文は数学と同様、ある程度論理的な思考力を育みます。作文は「文と文がつながっているか」「一貫性があるか」「構成が破綻していないか」といった高度な思考を要求します。作文は問題解決能力の育成の一助にもなるはずです。

プログラミング教育は不要

プログラミング教育は当然重要ですが、小学生にプログラミングを教えるという話は納得できない。

「プログラミング教育ってそもそも何をするの?」という話ですが、おそらくhtmlやC言語などのプログラミング言語でしょう。プログラミング言語の習得は大切ですが、プログラミングの勉強自体はあっという間に終わります。慣れたら終わりです。それ以上は実践的な開発を積むことでしか力はほとんどつきません。

プログラミングの勉強と、その知識を活かすことはまた違います。実践的なスキルはある程度社会的と言える経験を通してでしか得られないと思います。

そしてプログラミングの勉強の究極は「社会に必要とされるサービスをプログラムに落としこむこと」の理解にあり、それを小学生に教えることは無理があるでしょう。もちろんプログラミングの基本を小学生に教えてもいいと思いますが、それがどう役に立っていくか、かなり疑問です。

インターネットリテラシーの教育は必要

今は小学生がスマホを持っている時代です。ヘタをするとツイッターを使っている小学生もいます。

小さい子がツイッターを使う危険性はあちこちで騒がれている通りで「小学生にスマホを持たせていいのか」という議論もよくあります。

スマホを持つ小学生が増えたこと、インターネットをいじる小学生が増えたことに対応するには、インターネットがいかに怖いものか、変なことをすると犯罪に巻きこまれてしまう、といったインターネットのリスクをしつこく教える必要があると思いますね。プログラミングの教育よりはるかに大切です。

以上、問題解決能力の育成とプログラミング教育について提案してみました。最後のもう一つ、あまり関係ないものを提案して終わりにします。

(関係ないこと)今すぐにでも飛び級制度を作ってほしい

幼少期から特別な才能を発揮してしまう子がいます。根っから上手な絵が描けてしまうとか、超人的に数学ができるとか。

そういった子の才能を早いうちに開花させて伸ばすためには、その子を早く大学または大学に準じる学校に入れる必要があるでしょう。画一的な授業を行う小学校に閉じこめてはその子の才能を潰しているも同然です。

才能がある人の能力を社会に役立たせることは教育の重要な役目ですが、そのために必要な最初のステップは飛び級制度です。

絵がものすごく上手な人に、私のような絵がまったく描けない人と同じ教育をするというのは釈然としません。すぐにでも芸術系の大学か専門学校に入ってその素晴らしい才能を発揮してほしいと思います。

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