惨めな人生を送らないための習慣(エッセイ)

人はどこかで惨めになります。受け止め方によって堕落にも成功にもなる一方、惨めさは他人の目には醜悪にしか映りません。実はここに惨めさが惨めである原因があります。

最も典型的な惨めさ

例を通じて誰かを傷つけるつもりはありません。誰が何を惨めに思うかは、その人の感性が決めることです。しかし私は、最も単純な惨めさは他人の尊厳を傷つけたときに生まれると思っています。

  • 他人の悪口を言う
  • 弱者を冷たくあしらう
  • 強者に媚びる
  • つまらないことで怒る
  • しつこく自己主張する

惨めな経験のほとんどは上の五つに分類されるでしょう。

誰もが他人の悪口を言い、弱者を冷遇し、強者にへつらい、ささいなことで腹を立て、愚かなことを執拗に強調した経験をもちますが、後になって「あの時はとても惨めだった」とふりかえることもまた、誰もが経験します。

ところで、これらの経験は加害者本人だけでなく、被害者にとっても惨めな経験になります。

人間社会が残酷であり、競争社会が促進される最大の理由は、最も惨めな辛酸をなめるのは惨めな被害を恨んでいる被害者にあるからです。

例えば、電車に乗っているときに舌打ちされたとします。あなたはきっと怒ると思います。しかし同時に、舌打ちする人間に「あの人はかわいそうだ」と思う前に怒ってしまうことで惨めになっているのです。つまらないことで怒ってしまうのは、今の自分が満足していないせいだ、すなわち惨めであるせいだ。惨めであるから惨めになるのだ、と私たちはすでに気づいています。

自分の嫌いなものを相手に伝える

この記事を書くきっかけになった記事はハフィントンポストの6 Habits Of Completely Miserable People(英語)でした。タイトルを日本語に訳すと「惨めな人間の6つの習慣」です。

上の記事ではインターネットで攻撃的になるという習慣から睡眠不足まであげていますが、特に「自分の嫌いなものを相手に言う」(やや意訳)があります。これは最近私がおかした個人的な経験でした。

自分の嫌いなものをなぜ言ってしまうのでしょうか? これは会話を効果的に弾ませる手段にもなる一方で、相手に不快感を与える爆弾にもなります。

人間は知的であればあるほど、言葉と音声のもつわずかなニュアンスに敏感になります。特にマイナスのイメージに敏感です。

「この人は本当はこれが嫌いなんだ。ということは自分のもっているあの部分に対して否定的な見方をもっているんだ」

と思う人がいます。そしてその人は

「こんな言い方でしか自己主張ができないのか」

と、わずかなニュアンスを伝えたことを惨めにとらえます。

惨めな人間にならない方法

惨めさは惨めさを生みます。つまり放っておくと私たちはどんどん惨めになるのです。惨めにならないためには、惨めさを自覚して反省することが不可欠です。

さらに、上にあげた五つをひっくり返せば

  • 他人を尊重する
  • 弱者と対等に接する
  • 強者と対等に接する
  • ささいなことで怒らない
  • 傾聴する

という姿勢も大切でしょう。しかしそれ以上に、惨めさの基準をつくっている存在を考えることが重要です。

自分より惨めでない人間を意識する

惨めにならないための一番単純な方法は、実は自分より惨めでない人間を考えることです。

この世には侮辱されても柔和な姿勢を崩さない人がいます。こうした人は、現代社会がもっている「被害者が余計に惨めさを味わう」という本質をすでに知りつくしているので、意識的に自分を惨めさの反対側に置こうとしているのです。

私たちはその努力ができる人を意識して、自分がその努力を怠っていると意識するべきです。惨めさは状態ではなく、下降している変化を表します。惨めでない人間になろうという意識があれば、少なくともその意味においてその人は惨めではありません。

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