室町時代まとめ 建武の新政から応仁の乱まで(問題つき)

[su_tabs style="default" active="1" vertical="no" class=""]

[su_tab title="解説"]

後醍醐天皇、足利尊氏、楠木正成、新田義貞が鎌倉時代を倒した後、後醍醐天皇は1334年から建武の新政と呼ばれる新しい政治を始めました。しかし多くの武士はこれに不満を持ち、足利尊氏は光明天皇を即位させて自分は征夷大将軍となりました。こうして1336年、足利尊氏による室町幕府が始まりました。

南北朝時代(持明院統と大覚寺統の争い)

なぜ後醍醐天皇がいるのに足利尊氏は光明天皇を即位させることができたのでしょうか? 実は天皇家の家督問題が背景にあります。室町幕府ができる前、後嵯峨天皇が亡くなった後、誰が次の天皇になるかで朝廷が真っ二つに分かれました。それが後深草天皇を祖とする持明院統(じみょういんとう)と亀山天皇を祖とする大覚寺統(だいかくじとう)です。後嵯峨天皇の後、持明院統と大覚寺統は交代で天皇につくことになります。

天皇家系図

天皇 系統
88代 後嵯峨天皇 -
89代 後深草天皇 持明院統
90代 亀山天皇 大覚寺統
91代 後宇多天皇 大覚寺統
92代 伏見天皇 持明院統
93代 後伏見天皇 持明院統
94代 後二条天皇 大覚寺統
95代 花園天皇 持明院統
96代 後醍醐天皇 大覚寺統

足利尊氏は大覚寺統の後醍醐天皇でなく、持明院統の一人を光明天皇として立てて、後醍醐天皇を京都から追放しました。後醍醐天皇は吉野(現在は奈良県)に逃れ、自分こそが正統の天皇であると主張しましたが、以降、京都と奈良で天皇が一人ずついる南北朝時代に入ります。

日本史では常に天皇は一人ということになっていますが、唯一この南北朝時代は京都に一人、奈良に一人いることになります。

足利尊氏が光明天皇側、楠木正成と新田義貞が後醍醐天皇側につく形で南北朝は争い、楠木正成と新田義貞は滅んでしまいました。その後、足利尊氏を祖とする足利家が征夷大将軍として室町幕府を運営していきます。

黄金期

南北朝の争いは三代将軍足利義満の時(1392年)に終わり、時代はようやく安定し始めます。足利義満で重要なポイントは①日明貿易と②北山文化です。

足利義満は中国(当時は明という国だった)や朝鮮と貿易をしました。明との貿易船である遣明船は勘合という札のようなものを持っていなければならなかったため、日明貿易は勘合貿易とも呼ばれています。当時の貿易は日本を豊かにしましたが、やがてその利益は幕府から地方の守護(鎌倉時代にできた各地を治める者)に移ります。

また足利義満は京都の北山に鹿苑寺金閣という寺を建てるなど北山文化の発展に貢献しました。北山文化は現在の日本文化に深くつながっていることから入試などでよく出ます。

土一揆と応仁の乱

六代将軍足利義教の時から室町時代は不安定になっていきます。この頃から貧しい農民や武士が高利貸しなどを襲う土一揆(つちいっき)が頻繁に発生し、やがて1441年に嘉吉の土一揆という数万人規模の土一揆が起きます。

また足利義教が赤松満祐(みつすけ)の殺害されるという嘉吉(かきつ)の変が起きると、幕府の弱体化が目立つようになります。

嘉吉の土一揆と嘉吉の変は小学校では習わない可能性もありますが、その後の歴史に関わる重要な事件です。

1467年 応仁の乱

この二つの後、とどめをさすように八代将軍足利義政の家督問題が生じます。これは足利義政の弟である足利義視(西軍)と足利義政の子である足利義尚(東軍)の争いで、全国の守護大名が東と西に分かれて激しく争いました。これを応仁の乱といい、1467年から1477年まで続きましたが、その後も全国的な内乱は収まらず、やがて戦国時代に入ります。

応仁の乱では、足利義視(西軍)側に山名持豊(やまなもちとよ)、足利義尚(東軍)側に細川勝元がつきました。

応仁の乱によって京都は荒廃し、下の者が実力によって上の者を倒すという下克上(げこくじょう)が現れました

なお、応仁の乱前後に在位していた足利義政は京都の東山に慈照寺銀閣を作るなど東山文化の発展に貢献しました。

[/su_tab]

[su_tab title="例題"]

1

問1 室町幕府が正式に開かれるまで後醍醐天皇が行った政治を何というか。

問2 足利義満の代になり中国との国交が回復したが、その貿易には貿易船であることを証明するためのものが必要であった。それを何というか。

問3 戦国時代の先駆けとなる応仁の乱は何年に始まったか。

問4 応仁の乱の直接的な理由またはきっかけを説明しなさい。

問5 山城の国一揆のように下の者が実力によってはい上がっていくような風潮を漢字三文字で何というか。

問6 土一揆とは何か、説明しなさい。

[su_accordion] [su_spoiler title="解答" style="fancy"]

1

問1 建武の新政

問2 勘合

問3 1467年

問4 足利義政の後の将軍家の家督争い

問5 下克上

問6 農民や貧しい武士などが徳政を求めて土倉や酒屋を襲ったこと

「土一揆とは何か?」という記述問題では『誰が』『何を求めて』『何をしたか』の三セットがいります。

誰が … 農民と貧しい武士が 何を求めて … 徳政を求めて 何をしたか … 土倉や酒屋を襲った

徳政とは借金の帳消しなどをさします。 [/su_spoiler] [/su_accordion]

[/su_tab]

[/su_tabs]

広告