奈良時代の解説と問題 東大寺大仏と三世一身法など仏教と開墾から理解する

奈良時代は都が奈良県の平城京にあり、710年から794年まで続きました。奈良時代のポイントは仏教と開墾(かいこん)の二つ。開墾とは、山野を切り開いて田畑を作ること。

仏教は東大寺大仏と全国各地にできた国分寺・国分尼寺、開墾は三世一身法(さんぜいっしんほう)と墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)が重要です。

奈良時代の仏教(大仏と鑑真)

疫病が広まり社会が不安定だったため、聖武天皇は仏教を信じることで世を良くしようと考えました。これを鎮護国家といいます。鎮護国家の集大成といえるものが東大寺の大仏で、745年に建造が始まり752年に完成しました。また全国各地に国分寺と国分尼寺を作り、仏教を各地に広めました。

東京の国分寺市はこの時に作られた国分寺の名残りです。

また中国(当時は唐という国だった)から鑑真という僧が来日し、日本の仏教の発展に貢献しました。

723年 三世一身法

当時、飢饉による食糧不足が深刻な問題となっており、朝廷は新しい田畑を開拓するため三世一身法を行いました。

田植えをした経験のある方はわかると思いますが、稲を植える前に田に水を入れなければいけません。その水は溝や用水路からやってきますが、用水路はその集落にいる人たちが共有するものです。この溝や用水路を灌漑施設といいます。以上をふまえた上で三世一身法を覚えましょう。

①灌漑施設を新しく作り、未開拓の土地を田にしたら、その土地を三代まで持つことができる ②今までの灌漑施設を利用して、未開拓の土地を田にしたら、その土地を本人だけ持つことができる

三世一身法により日本の田は広がっていきました。しかし三世一身法の『三代』という条件はすぐに撤廃されます。それが墾田永年私財法です。

743年 墾田永年私財法

墾田永年私財法は開拓した田を何世代も永久に持っていいという決まりです。墾田永年私財法により地方の豪族は自分たちの土地をたくさん持つことが可能になり、少しずつ力をつけていきました。

問題

問1 飛鳥時代末期から奈良時代にかけて作られた銅銭と銀銭を何というか。

問2 聖武天皇は(  )をスローガンに大仏を建立した。

問3 墾田永年私財法は何年に制定されたか。

問4 新しく灌漑施設を作り開墾した土地は本人から三代まで保有が認められるという法の名前を答えなさい。

問5 ( 1 )は唐から来日し、日本の仏教に貢献して( 2 )という寺を建立した。

問6 大宝律令を完成させた人物は誰か。

解答

問1 和同開珎(わどうかいちん)

和同開珎は現在の十円玉や百円玉などのコインに相当します。和同開珎は708年から作られました。

問2 鎮護国家

問3 743年

問4 三世一身法

問5 鑑真、唐招提寺(とうしょうだいじ)

鑑真は唐招提寺を建立しただけでなく、「どうすれば僧になれるか」という戒律制度を作ったことで有名です。僧という資格を作り、僧になるためのルールを決めたのです。

問6 藤原不比等

問題

問1 630年より中国の( 1 )と交流するようになり、奈良時代も( 2 )が( 1 )に派遣された。

問2 聖武天皇が諸国に作らせた寺を総称して何というか。

問3 天武天皇の命によって奈良時代に完成した二つの重要な文書を答えなさい。

問4 奈良時代、民衆に仏教を広めて社会事業を行った著名な僧は誰か。

問5 聖武天皇の品などが保管されている東大寺内の建物を何というか?

問6 聖武天皇が大仏を建立した背景には不安定な社会があった。当時どのような社会的問題があったか説明しなさい。

解答

問1 唐、遣唐使

遣唐使自体は飛鳥時代から派遣されています。遣唐使は平安時代、菅原道真によって廃止されました。

問2 国分寺、国分尼寺

問3 古事記、日本書紀

問4 行基

問5 正倉院

問6 飢饉や疫病

問題

問1 藤原不比等の死後、右大臣として朝廷内の実権を握った人物は誰か。

問2 藤原氏の一人が740年に九州で起こした大規模な反乱を何というか。

問3 奈良時代は農民が貧困に苦しむ時代であった。( 1 )は当時の農民の生活を歌として( 2 )に残した。

問4 出雲などの各地の伝承などが記された書物を何というか?

問5 奈良時代を説明した次のア~エのうち正しくないものを選びなさい。

ア 朝廷は東北地方の支配を進めていたが、南九州や南西諸島とは関係を持っていなかった。
イ 遣唐使の中には朝廷の政治に関わる吉備真備がいた。
ウ 藤原広嗣の乱の後、聖武天皇は一時的に都を移した。
エ 当時、夫婦は別姓だった。

解答

問1 長屋王

問2 藤原広嗣の乱

藤原広嗣が反乱を起こした背景には藤原氏の一時的な衰退があります。疫病によって藤原不比等の子が病死すると藤原氏の代わりに吉備真備(きびのまきび)といった人物が重宝されるようになりました。これに藤原広嗣は不満を抱き、ついに反乱を起こしました。

問3 山上憶良(やまのうえのおくら)、貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)

問4 風土記(ふどき)

問5 ア

奈良時代は朝廷の東北地方の支配が進み、南九州や南西諸島とも関係を持ちました。また聖武天皇の在位中、遣唐使の一人の吉備真備が活躍しました。聖武天皇は藤原広嗣の乱の後、都を恭仁京(くにきょう)に移しています。また当時、夫婦は別姓で、それぞれが財産を持っていました。

問題

問1 以下は何と呼ばれているか。

mokkan

問2 墾田永年私財法について説明しなさい。

問3 日本書紀は( 1 )が編纂し、( 2 )体という形式で記述されている。

問4 称徳天皇に寵愛されて造仏事業などを行った僧は誰か。

問5 聖武天皇がさまざまな事業を行っていた時代の文化は何と呼ばれているか?

問6 官吏教育機関として大学ができた。大学で用いられていた中国の『五経』は五つの文書から成る。この五冊をすべて答えなさい。

解答

問1 木簡

木簡は日常的な伝達手段として使われていました。

問2 墾田永年私財法は、新しく開墾した土地は子孫代々、特に期限もなく保有できるという制度である。

問3 舎人親王、編年(体)

編年体とは、出来事を年を追って記していくこと。例えば日本史年表完全版も編年体です。歴史書は編年体の他に紀伝体という形式もあります。紀伝体とは、歴史上の人物を中心に記していく形式です。

問4 道鏡(どうきょう)

道鏡は称徳天皇に寵愛されて太政大臣までのぼりつめますが、朝廷の政治は混乱し、称徳天皇が亡くなると道鏡は追放されました。

問5 天平文化(てんぴょうぶんか)

問6 易経(えききょう)、書経(しょきょう)、詩経(しきょう)、春秋(しゅんじゅう)、礼記(らいき)

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