ニーチェの永劫回帰と力への意志から自分の人生を考える

ニーチェの思想を代表する言葉が「永劫回帰」と「力への意志」です。

永劫回帰

永劫回帰はあらゆることが無限にくりかえされる世の理をさします。仏教の輪廻転生と根本的に異なる概念です。ニーチェにとって人生は意味のないもので、この瞬間のこの状態は永遠にくりかえされます。

世界がマス目のようにできていて、有限個のマスに有限個の物体が一つ一つ存在しているとすれば、そしてまた時間が無限に続くとすれば、あらゆる状態が永遠にくりかえされると考えてもおかしくありません。

真の意味で同じ人生、同じ状態が無限に続くという考えは、ミクロの物質の運動がランダムに引き起こされるという事実から否定されるかもしれない。

しかし自分の人生も人間の歴史も、認識される範囲において(自分の人生であれば生きている時間において)同じような出来事をくりかえしています。

人の人生は失敗があって成功がある。ある意味、人は生きている間「失敗と成功」というループを回っているだけと考えることもできます。スケールを大きくして人間の歴史を見るとやはり「戦争と平和」というループを回っています。

力への意志

永劫回帰という生の無意味さから、ニーチェはその無意味を受け止める力強さが重要であると説きます。この力を持っている者が超人です。

ここからは筆者の偏見と無知が入り乱れているため、読むときは注意してください。

歴史の無意味さ、そして人生の無意味さを超越しようと、キリスト教的伝統を脱して新しい価値を創造した「超人」は、アメリカであると私は考えています。

資本主義的な消費社会にいる現代人がマルクーゼの主張したように「一次元的人間」になっているとすれば、あるいはフロムの主張したように「自由から逃走」しているとすれば、私たちの精神的豊かさは世代を経ていくにつれてある種「無意味化」していると言えるかもしれない。

現代社会の本質は、物質的豊かさの追求と労働に対する苦痛の増大ではないかと私は考えています。社会の歴史がそのように流れているならば、人間の人生から有機的な多様性が失われて、無機的な冷たさが伝染していくかもしれない。

この抽象的な変化に気づいたとき、私たちは本質的に、自分の人生が社会の要求する画一性に閉じこめられたナンセンスであると直感し、絶望するでしょう。この絶望は永劫回帰による絶望と本質的に同じであるため、ニーチェを知っている人は力への意志をハッと思い出して、

それでも自分はこの無意味さを超えるしかないのだ

という考えにいたるわけです。そして現在、このアイデアに突き動かされて資本主義という自由をまっすぐ進んでいる存在、すなわち超人がいます。それがアメリカ合衆国です。

アメリカは資本主義と自由の正しさを経済発展という具体的な形で証明しています。そのあり方を好ましく思うが、そうでなかろうが、またアメリカの発展を支えている人たちがニーチェのいうナンセンスな人生を送っていようが、国民の総体としての国はこの二百年間持続的に発展し、いまだにその衰えは見えません。

アメリカという国がGDPという数値を年々積み上げていく歴史は無機的であり、なんのために発展しているか、なにを目指しているのかわからなく見えてしまうときがあります。アメリカの発展はニーチェのナンセンスを体現しており、同時にニーチェの求める新しき創造を具現してもいます。

今こうしてニーチェの評を発信できているのも、アメリカという国から生まれたインターネットが存在するためです。インターネットという新しい世界の創造に最も貢献した国はアメリカです。

アメリカの発展、あるいは歴史の発展は本質的に無意味です。あのときはよかった、技術が進歩していないときはよかった、ひるがえって今はナンセンスだ、これ以上科学が進歩してなにになるのだ、と考えてもいいでしょう。確かに進歩も発展もナンセンスと言えばナンセンスです。

しかしおそらく人間の歴史はナンセンスのくりかえしにすぎず、そのナンセンスの上に、誰かが力への意志をもぎとって強者となり、超人となり、新しい価値を作っていくのです。

ある人はそれをナンセンスといいますが、ある人はそれをナンセンスであり、同時に創造と呼ぶ。この違いをどう考えるかが、私たち一人一人の人生を変えると思います。

参考ページ 実存主義まとめ

※ニーチェは実存主義の哲学者の一人です。