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ヘーゲルとマルクスからインターネット(ウェブ)が作り出した思想と哲学を考える

インターネット(ウェブ)は二十一世紀の文化と産業の中心であり、今も変化を作りつづけている。哲学と社会的変化は互いに影響を与えながら発展するが、ウェブはどのような思想と関係しているだろうか。

二十世紀から二十一世紀の社会的・経済的変化の整理

1970年代から1980年代はある意味、アメリカとソ連と日本の時代である。当時の世界の社会・経済の特徴は

  • アメリカとソ連の対立
  • 日本の経済発展
  • 物質的豊かさが達成されていく

の三つに集約される。経済思想はアメリカとソ連の対立によって直接的に表される。

1990年代から今までの特徴は

  • 資本主義の勝利とアメリカ中心の世界
  • 製造業からコンピューターとインターネットへ

の二つに集約される。ソ連が解体し、アメリカが世界の中心として国際的ルールを直接的または暗黙として定めていく立場になった。また先進国のインフラが整い、生活の物質的側面が豊かになったことで、産業の中心は電機などの製造業からコンピューターとインターネットに移った。

二十世紀末から二十一世紀の社会的・経済的特徴

  • 行動・思想の多様化が主張されるようになる
  • 環境への関心が高まる
  • 生活の物質的豊かさは達成された
  • 生活の豊かさの焦点が物質から文化になった
  • 経済格差が広がった
  • インターネット世界がインフラ化する
  • メディアミックスが産業の中心になる
  • 個性と没個性の対立が世論と文化を形成する

多様化

生物は多様である。同時に自然選択と弱肉強食の厳しい掟によって弱者は滅び、強者は滅ぶ。

環境に適応した強者が生き残っていくという原理がある一方、ゲーム理論が暗黙に主張するように、強者と弱者は全体の利益が最大化するようにバランスをとりながら個体数を決定する。自然選択とゲーム理論が生物の絶滅と多様性を形成していると考えられる。

人間も以上の原理にしたがっているとすれば、そしてまた「人間の種」がいわゆる人種以外の行動と思想の形式によって定められるとすれば、社会変化に適応しない行動と思想は埋没し、消えていくが、同時にまたある種のものは全体利益のために存続し、社会的多様性が確保されると考えられる。

多様化の声はある意味、核兵器と戦争と環境破壊に対する内省からの生存本能である。単線的な多様化の推進は机上の空論であり、決して実現されない。しかしその声を封殺することは、第二次世界大戦期のドイツと日本の歴史の反省から実現されることはありえない。

インターネットは個人の主張が衝突する場となったため、インターネットの発展は多様性を最低限確保したことを意味する。

環境

二十一世紀は人間が人間以外の存在に目を向けるようになった時代である。これはインターネットと直接関係しないが、インターネットは環境対策の必要性を訴えるうえで重要な役割を担っている。

ヘーゲルの弁証法によると、正と反という二つの対立は止揚によって高次元の合を生むが、環境問題において正は自由主義的な産業、反は環境問題である。ヨーロッパの一部の国は止揚として、太陽光発電などのクリーンエネルギーの拡大や、二酸化炭素排出規制などを産業に取り入れている。

しかし世界全体の二酸化炭素排出量は増加し続けている。ヘーゲルは世界史の発展を正反の止揚のくりかえし、つまり弁証法の発展と考えた。つまり今の世界はある意味発展していないことになる。

これまで歴史の発展は産業の発展にほぼ等しかったが、二十一世紀、二十二世紀では環境問題の克服が真の意味で世界史の発展になる。

豊かさ

団塊の世代はおいしいりんごを味わって引退した。60年代から80年代にかけて日本と各国の経済は発展し、物質的豊かさは達成された。この時代の人間たちは、生活と文化の豊かさを物質的豊かさとつなげて考える。

マルクスは経済という下部構造が文化という上部構造を規定すると考えたが、団塊の世代はそれに近い観念を生身で手に入れた。一方、私を含む「今の若い世代」はそのような観念に疎く、経済から文化が生まれる真実を直視できない。

私の世代は文化を文化として考える。その原因は、団塊の世代の味わった果実を得られず、またインターネットが生んだ新しい文化を崇拝しているからだ。私たちは高齢者と違って文化を選択する力と積極性をもっている。

経済格差

経済格差は広がっている。これは三つの過程があると私は考える。

  • 資本主義の必然的過程
  • 単純労働の減少
  • 産業のメディア化

一つはピケティという人物が唱えている資本主義の過程としての経済格差。もう一つは機械とコンピューターによる労働の剥奪。機械は人間の労働を奪いつくしたが、それ以上の速度でコンピューターとインターネットは人間の労働を奪うかもしれない。会計などの事務作業の多くはすでにコンピューターに奪われている。

コンピューターが労働を奪うことは、単純な労働しかできない人たちの収入と資産を減らす要因となる。労働において単純の反対は創造であり、創造できない人間と創造できる人間の経済格差は広がる。

またインターネットは産業をメディア化した。現代になって第三次産業の割合が相対的に増えたが、その第三次産業の内訳もメディアまたはメディアと深くつながっている産業の割合が増えた。

メディアは人間を有名人とそうでない人間に区別する。有名人はメディアによって付加価値を創造し、経済的利益の多くを寡占する。一方、有名でない人間は有名人が付加価値を創造する裏方にまわって、間接的に経済的利益の一部を有名人に貢献する。

マルクスの上部下部構造の思想に基づけば、文化とメディアは人口全体の付加価値量を決定する。有名人と有名でない人間は、予め決まった量しかない付加価値を奪い合っている。農林水産業と製造業を含めた全体の付加価値量におけるメディアの付加価値量は年々増えているため、有名人と有名でない人間の経済格差は広がる。

インターネットのインフラ化

インターネットの一部のサービスは流通、土地、建物のようなインフラになった。建物に看板が立つように、ウェブサービスに広告が入る。

メディアミックス

出版社は従来の書籍出版で生き残ることがほとんど不可能になり、ウェブを通して小説、マンガ、アニメ、音楽、映画などをミックスさせた戦略をとらざるを得なくなった。

製造業は従来からテレビのコマーシャルを使うなど営業のメディア化を戦略の一部としていたが、ウェブサイト、アプリ、ゲーム、SNS などメディアの選択肢が広がった。アップルはパソコンとスマートフォンを事業の中心としているように見えるが、アプリと音楽というメディアをパソコンとスマートフォンというハードとうまく融合させることで、自社サービスの付加価値を最大化している。

メディアミックスは、メディアとメディアのミックスと、メディアと非メディアのミックスの二つに分けられる。

個性と没個性の種類

インターネットは一人ひとりに発言と主張の場を与えたが、その主張はしばしば個性的であり、没個性的である。

現代において個性と没個性はそれぞれ三つの解釈がある。

  • 没個性への抵抗から生まれる個性
  • 悪とされる個性
  • 付加価値となる個性
  • 個性への恐怖から生まれる没個性
  • 悪とされる没個性
  • 善とされる没個性

個性の大半は没個性への抵抗から生まれる。自分は特別であるはずだ、あるいは特別でありたい、特別であれば付加価値が生まれるはずだという思いこみとうぬぼれから客観的な個性が生まれる。しかしそれは主観的な個性ではなく、本人は自己欺瞞に恐怖しつづけるか、嘘をつづけるタフさを身につけるしかない。

最悪の個性は犯罪・非道徳に手を染めるような個性であり、人をだます人間性も一つの個性である。

最も称賛される個性は人を感動させる、あるいは楽しませる個性である。このタイプは経済的な付加価値を生む。

社会が不安定になると没個性は悪になりやすい。これはアドルノなどが権威主義的パーソナリティと述べた人間性である。アドルノやフロムは没個性は権威へ走ると考えたが、その権威はインターネットなどのメディアが自分たち(大衆)を通して形成した権威であり、権威の源は没個性をもっている自分にある。

メディアによって権威づけられた権力者はほとんどの場合個性的であり、メディアが市場に与える付加価値を独占するが、ここに二つの悲劇が隠れている。一つは没個性が個性にしっぽをふっていること、もう一つは付加価値を与えて自らの経済的利益を損ねていることだ。

多くの人間はこの悲劇に耐えて没個性を守るが、一部の人間は耐えられず、没個性を捨てて道化師のような個性を手に入れる。これが一番目にあげた没個性の中心である。

没個性はしばしば善になる。法律や道徳などのルールを守るような行動は没個性的だが、同時に善である。

また自分は目立ちたくないという欲求からも没個性は生まれる。インターネットを通して人間が理解したことは、個性は付加価値になりやすいが、同時にマイナスの付加価値を生むということだ。

あらゆるメディアで個性と没個性は対立する。インターネットはそれまで数値化が難しかった観念を数値化したため、個性と没個性の色が鮮明に出るようになった。

統計的に多数派を占める観念が没個性となり、少数派が個性となるが、世論はこの対立を止揚して成立していく。インターネットメディアの最大の特徴は、個性が世論のメインになった瞬間、没個性に変わって価値を失うことだ。インターネットに個性の付加価値を与えられた者は、世論の流れを迅速に把握しない限り消費されることを免れない。

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