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量子力学と相対性理論を統一する数学的概念:非連続性、指数と対数、球面

私は数学者でも物理学者でもないので、量子力学も相対性理論もわからない。しかし宇宙の謎に魅了された一人として物理学者に伝えたいことがある。物理の謎は非連続性、指数と関数、球面という3つのポイントと大きくつながっているということだ。

非連続性

大学の数学科に進学した年、私は実数の連続性を勉強した。

数は連続しているという退屈な事実は、集合と位相から説明される。幾何学は数を使うか使わないかで微分幾何学と位相幾何学に分裂する。もちろんこの表現は乱暴だ。

相対性理論は微分幾何学を使い、一般相対性理論はリーマン幾何学と深く関わっている。物理を勉強していると、空間と時間はあたかも連続した実数で記述されると認識するが、ニュートン力学も相対性理論もその認識を当たり前としている。

物理でなく数学を勉強していた私は、物理のそうした前提にうんざりしていた。そこで高校の文化祭に遊びに出かけたとき、私は高校時代の数学の先生に「空間と時間は連続していないかもしれない」と話した。先生は「物理は数学を便利な道具として扱う。空間と時間は実数でできていると考えると、物理は展開されやすくなる」と答えた。その瞬間、私はそこに現代物理の限界があると直感した。

どうして世界は連続しているのか? なぜ不連続につながっていると考えないのか? この世界は映画のように細かいシーンが断片的につながっている可能性はないのか? 1秒間に10の300000乗のシーンがランダムにつながっている可能性はないのか?

そもそも隣の空間は存在するのか? 物質が逃げてしまうドーナツの穴はないのか?

発見はいつも誤認の訂正から始まるが、物理最大の誤認は、時空が実数上の空間であるという認識だ。

指数と対数

ビジネスはネットワーク効果を利用した者が勝利する。株式の利益も時間の複利を利用する。富はいつも指数関数的に増加するが、私たちは物事を近視眼的に考えるので、世界が一次関数的に発展していると誤認する。

世界史は一万年以上も前から始まっているが、ほとんどの時代で私たちは衣食住に不自由していた。しかし産業革命や電気の発明、化学製品の普及によって、生活水準は1800年頃から劇的に向上した。そして今はインフラからバーチャルに向かっている。バーチャル化はこの数年に起きている変化であり、勢いはさらに増している。

物事が変わるとき、変化が変化をつくるという「加速」の概念がやってくる。加速は力であり、力は加速である。これはニュートンが発見したシンプルなアイデアだが、同時に「世界は指数関数的に変化する」ことを暗示している。

しかし物理のほとんどの方程式は、世界を一次関数的な座標で考える。物理は片対数グラフを使うが、方程式が最初から指数と対数を組みこむことはない。

座標と大きさは容易に対数化できる。その値のlogをとるだけだ。f=maという式の右辺と左辺はlogをとるとどうなるだろう? 物理を深く研究している人なら、単に等しい値が返ってくるだけの数学的現象とみなさないはずだ。

どうして私がlog10と表現しなかったか考えてほしい。どうしてlogを10でとる必要があるだろう? 相対性理論の本質はf=maという式の等号の再認識にあるが、相対性理論と量子力学を統一する人は、この式にlogxをとった式を再認識する人だと思う。

量子力学と相対性理論を統一するためには、世界を指数と対数から考える必要がある。学問をスケールするには、座標をスケールする必要があるのだ。天体観測するときだけサイズを対数にして表すというのは間違っている。

球面

どうして地球は丸いのだろう? 私たちも位相的には球である。私たちはドーナツでなく、球なのだ。つまり穴がない。穴があるのはドーナツくらいだ。

私たちが位相的に球であることは、おそらく物理的に意味がある。物事をシンプルに構成しようとすると、その位相は球になるのだろう。

ところで、物事はだいたい境界でなにかが起きる。ニューヨークはアメリカの中央でなく、海に面した場所にある。なぜ大都市は海に面しているのだろう? 私たちの細胞も、細胞膜で複雑なやりとりが行われている。重要なものはだいたい境界にあるようだ。

そう考えると、宇宙はそもそもなにかの境界にあると考えたほうがいいかもしれない。境界とは、世界と世界の間にある「世界」だが、宇宙そのものが、ある宇宙と宇宙の境界に属しているかもしれない。

数学は境界を球面と呼ぶ。S^1、S^2…といった空間はシンプルな対象でありながら、奥深い性質を持っている。何次元であれ、球面の性質は、世界が2つの世界に「完全に」分離していることに影響されている。つまり宇宙の内部には(位相的に)球の世界があり、外側には自分より一つだけ次元の大きい世界が広がっているのだ。

宇宙は球面であるという認識はとても自然だ。社会や産業の構造が、なにかとなにかの境界から始まっていること。イノベーションが生活や認識のギャップから始まっていること。そして私たち自身が、私とそれ以外という二項対立の克服に生きていること。これらの事実が、宇宙が境界そのもの、つまり球面であることを暗示している。

量子力学と相対性理論の統一

量子力学と相対性理論がうまく合致しない最大の原因は、二番目で紹介した「指数と対数」の概念を物理が軽視していることにある。

ミクロとマクロを同時に考える唯一の救済は、数そのものでなく、その数のスケールですべてを制御することだ。つまりすべての方程式を対数化するしかない。そして対数化するときに大きな矛盾が出てくる。既存の方程式を対数化するとき、それは単に数学的記号として対数化することはできない。それはニュートン力学の範囲を出ていない。

対数化するとき、すべての式は大きな矛盾を抱えるはずだ。そもそもなにで対数をとったらいいのだろう?

時空間が歪んで、急に縮んだり伸びたりするときに大きな重力が発生する。これは対数というレベルで行われないのか? 私たちの世界が、実数軸と対数軸の2つでできているなら、量子力学と相対性理論は前者でしか通用しない相互作用を研究しているにすぎない。

物質が10のx乗からx+ε乗の世界に移るとき、なにかの力がそこに働くことはないのか? 物体の速度が0から秒速30万キロメートルまで変化するとき、なにが起きるのか?

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