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19895

大正時代から第二次世界大戦まで 二つの世界大戦と世界恐慌

明治時代以降の日本史は明治時代、第一次世界大戦から第二次世界大戦、そして戦後の3つに分けられます。第二次世界大戦は第一次世界大戦の延長にあり、第二次世界大戦前と後で歴史が大きく変わっていますが、今回は第一次世界大戦から第二次世界大戦までを扱います。

第一次世界大戦

日露戦争と韓国併合の後、時代は明治から大正に入り、国内産業の中心は生糸から重工業に変わってきます。

このタイミングで1914年に第一次世界大戦が起きますが、年号の一桁目の「4」に注目してください。実は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦は三つとも一桁目が4、つまり十年ごとに起きているのです。

年号 戦争
1894年 日清戦争
1904年 日露戦争
1914年 第一次世界大戦

1914年 第一次世界大戦開始

1914年、バルカン半島(ギリシアなどがある場所)でオーストリアの皇族の一人(次期皇帝と考えられていた)がセルビア人に暗殺されたことをきっかけに、オーストリアとセルビアが戦争を開始すると、ロシア、イギリス、フランスの三国がセルビア側、ドイツがオーストリア側につく形で戦争が拡大し、やがて日本を巻きこんだ世界的な戦争に変わっていきました。これを第一次世界大戦といいます。

第一次世界大戦はどことどこが戦っているかわかりにくい面があるため、ロシアとドイツを軸に各国の立場を整理します。

ロシア ドイツ
セルビア
イギリス
フランス
日本
オーストリア

なぜセルビアとオーストリアの戦争がロシアやドイツなどのヨーロッパ各国を巻きこんだか、そもそもなぜセルビア人がオーストリア皇族を暗殺したかについては小学校から中学校までは扱いません(中学校によっては三国同盟や三国協商まで扱う)。

ここではなぜ日本が第一次世界大戦に巻きこまれたか軽く触れておきます。

日本は日露戦争が始まる直前、イギリスと日英同盟を結びました。もし日本が第一次世界大戦に関わるとすると、日本はイギリスの側についてドイツを敵国とみなす必要がありますが、日本がドイツと戦う理由はいったいどこにあったのでしょうか?

それはドイツが中国に持っていた青島と山東省です。日本はこの二つの領土を手に入れるためドイツに宣戦布告し、第一次世界大戦に参加してしまうのです。

1915年 二十一カ条の要求

第一次世界大戦の間、日本は中国の青島と山東省を占領した後、中国代表の袁世凱(えんせいがい)に二十一カ条の要求を突きつけました。「旅順と大連の租借期限を99年に延長すること」といった理不尽な要求が並んでいたものの、袁世凱はこれを受け入れてしまいます。

二十一カ条の要求から日本の中国進出が次第に目立ってきますが、アメリカやイギリスはこれをよく思いませんでした。

1917年 ロシア革命

第一次世界大戦は銃撃戦などで過酷を極め、多くの戦死者を出しました。そのためロシアではレーニンが率いる国内の労働者が戦争に反対し、ついに革命を起こしてロシア帝国を倒してしまいます。

ロシア国内で起きた一連の革命をロシア革命、これによって生まれた国をソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)といいます。

1919年 ベルサイユ条約

1918年に第一次世界大戦が終わると、1919年にベルサイユ条約がドイツと各国の間で結ばれました。このベルサイユ条約はドイツに莫大な賠償金を求めるもので、ドイツ国内に大きな悪影響を与えました。

なおドイツは1918年までドイツ帝国という国でしたが、第一次世界大戦をきっかけに国が崩壊し、1919年にワイマール共和国となっています。

1920年 国際連盟設立

第一次世界大戦は世界中に最悪の結果をもたらしました。ベルサイユ条約が結ばれた翌年、戦争の反省として平和を願う国際連盟が設立されました。

ここで第一次世界大戦を年号ごとに整理してみます。

年号 出来事
1914年 第一次世界大戦が始まる
1915年 二十一カ条の要求
1917年 ロシア革命
1918年 第一次世界大戦が終わる
1919年 ベルサイユ条約
1920年 国際連盟設立

一年ごとに重要な出来事が続きますが、どれもその後の世界史に深く関わっているためすべて覚える必要があります。

世界恐慌

※このセクションはやや高校生よりの内容になっています。中学校まで詳しく扱うことはあまりありません。

1920年代の『世界恐慌』は1929年10月24日にアメリカで起きた株価大暴落から始まりますが、実は日本はそれ以前に恐慌が起きていました。

  1. 戦後恐慌
  2. 関東大震災
  3. 世界恐慌

この三つをきっかけに日本は波乱の時代に入りました。

戦後恐慌とは、第一次世界大戦直後の1920年に起きた生糸と綿糸の価格暴落をさします。当時の日本はまだ生糸と綿糸に頼っていたため、国内の経済は壊滅的なダメージを受けました。この頃はまだ重工業化の途中で、輸出のメインはあいかわらず繊維業でした。

戦後恐慌に続いて関東大震災が1923年に起きたことで、経済復興が進まなくなります。

そして史上最悪の金融危機が1929年に起きました。人々は銀行から預金を引き出そうとパニック状態に陥り、大量の失業者があふれ、農村では身売りなどが発生し、社会は急速に不安定になっていきます。

第二次世界大戦が起きた背景には恐慌による不安定な社会があったのです。

第二次世界大戦

第二次世界大戦は大きくヨーロッパでの戦争とアジアでの戦争に分けられます。ヨーロッパでの戦争の中心にドイツがあり、アジアでの戦争の中心に日本があります。アジアでの戦争はさらに日中戦争と太平洋戦争に分けられます。

1939年 第二次世界大戦開始

第二次世界大戦はドイツがポーランドを侵攻したことから始まります。ポーランド侵攻によってイギリスとフランスはドイツに宣戦布告し、第一次世界大戦と同様、戦争がヨーロッパ全域に広がっていきます。ヨーロッパではドイツとイタリアがイギリスとフランスと戦っている構図です。

ドイツはポーランド、フランス、オランダ、ベルギー、ギリシアなど多くの国に侵攻し、降伏させていきますが、イギリス(当時の首相はチャーチル)はドイツの空爆を受けてもなお徹底抗戦を貫きました。1941年前半頃、ドイツはヨーロッパの大半を支配するまでに至りましたが、この1941年がドイツのピークでした。

第二次世界大戦は1941年が分岐点と言われています。それはなぜでしょうか?考えられる理由は2つあります。

  1. 1941年にアメリカがイギリス支援を開始したから
  2. 1941年にドイツがソ連と戦争を始めたから

それまでアメリカはヨーロッパにもアジアにも関わらず、中立を保ってきました。しかし1941年になってついにアメリカがイギリスの側に立ち、イギリスはアメリカから大量の武器を手に入れることが可能になりました。

イギリスとの戦争に疲弊したドイツは矛先をイギリスからソ連に変え、独ソ不可侵条約という条約を破棄して戦争を開始します。ドイツとソ連の戦争は両国に甚大な被害を与え、ドイツ敗北へとつながっていきました。

ドイツとソ連は第二次世界大戦で多くの戦死者を出しました。その数はドイツが700万人、ソ連が2000万人とも言われています(人間自然科学研究所 - 戦争による国別犠牲者数より)。

1937年 日中戦争

ドイツがポーランドに侵攻する二年前の1937年、北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突したことをきっかけに日本は中国と戦争を始めます。この日中戦争は1945年まで続きました。

1941年 太平洋戦争

1940年、日本はドイツとイタリアと日独伊三国同盟を結び、ドイツ・イタリア側につきます。

イギリス ドイツ
フランス
アメリカ
ロシア
中国
イタリア
日本

これにより日本は第二次世界大戦のドイツ側の参加国となり、アメリカやイギリスが敵国となりました。また日本は中国のみならず東南アジア全域に軍を送り、日本と中国と東南アジアを統一しようとする思想を掲げたため、アメリカは日本を危険視して石油輸出を禁止します。日本は石油のほとんどをアメリカに頼っており、アメリカが石油輸出を禁止すれば戦争が続けられなくなります。こうした背景から1941年12月8日、日本はアメリカ・ハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まりました。

最初の真珠湾攻撃で日本はアメリカの多くの戦艦と航空機を撃破することに成功し、その後しばらくは勝利し続けますが、1942年6月のミッドウェー海戦で大敗北してから日本の戦局は急速に悪化します。

ここが第二次世界大戦の経過を理解するポイントになります。第二次世界大戦をドイツを中心としたヨーロッパでの戦争と、日本を中心としたアジアでの戦争に分けて考えましたが、実は両国とも1941年にアメリカを敵に回したことで戦局が変わっているのです。つまりイギリスと中国が勝利し、ドイツと日本が敗北したきっかけはアメリカの第二次世界大戦の参加にありました。

ミッドウェー海戦以降、アメリカは日本に反撃を続け、①全国各地(特に製鉄所などの工場がある地域)を爆撃し、②東京を爆撃し、③沖縄を占領し、④広島と長崎に原爆を落としました。広島と長崎への原爆投下後、日本は降伏しました。

太平洋戦争末期の経過

年月 出来事
1944年 日本本土空襲
1945年3月 東京大空襲
1945年4月 沖縄占領
1945年8月6日 広島に原爆投下
1945年8月9日 長崎に原爆投下
1945年8月15日 日本降伏(第二次世界大戦終結)

第二次世界大戦の反省から1945年10月、世界の平和を願う国際連合が発足しました。

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