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大航海時代とスペイン・ポルトガルの植民地支配

羅針盤と造船の技術が発達すると、ヨーロッパ各国は大西洋やインド洋を横断して新しい大陸を発見し、競いあうように植民地を獲得した。15~16世紀に起きた大航海時代は、スペインを強国にすると同時に、ヨーロッパ各国の経済を大きく変えた。

まとめ

時期 出来事
1488 バルトロメウ・ディアス、喜望峰(アフリカ最南端)を発見
1492 コロンブス、アメリカを発見
1494 トルデシリャス条約
1498 ヴァスコ・ダ・ガマ、インドのカリカットに到達
1519 マゼラン、世界一周に向けて出発
1521 マゼラン、フィリピンに到達
スペイン、アステカを滅ぼす
1533 ピサロ、インカを滅ぼす
1543 ポルトガル、種子島に到達
1545 ボリビアで銀が見つかる

大航海時代

ポルトガルのエンリケが航海の研究を本格的に開始し、1488年にバルトロメウ・ディアスがアフリカ最南端の喜望峰を発見すると、ポルトガルとスペインによる航海競争が始まった。イベリア半島のレコンキスタ(イスラム教を排斥する再征服運動)が終焉間近だったことが背景にある。レコンキスタは1492年のグラナダ陥落で終わる。

1492年、スペインの援助を受けたコロンブスがアメリカを発見すると、スペインとポルトガルはトルデシリャス条約を締結し、新大陸の分割統治を始めた。

植民地支配

1520年以降、スペインは少人数の部隊を用いてアメリカの征服を始めるが、この時にアステカ文明(現メキシコ中央)とインカ文明(現ペルー)が滅亡した。エルナン・コルテスがアステカ、ピサロがインカを滅亡させた。

これらの征服は残虐を極め、ドミニコ修道会のラス・カサスはスペイン人の不正行為を告発した。スペインの植民者をコンキスタドール(征服者)という。

スペインの植民地支配はエンコミエンダという制度によって推進された。エンコミエンダによりコンキスタドールは植民地を自由に支配できるが、代わりにインディオなどの先住民をキリスト教カトリックに教化しなければいけない。しかしコンキスタドールは制度を悪用する形で先住民を奴隷として酷使し、結果としてインディオの人口は激減した。

大航海時代はヨーロッパの経済と社会を一変させた。1545年にボリビアのポトシで銀山が見つかると、ヨーロッパに大量の銀が流入して物価が上昇した。銀に依存していた貴族は没落し、スペインは黄金期をむかえた。

結果

ポルトガルとスペインが始めた新大陸の探検は、その後もヨーロッパ各国に受けつがれる。ポルトガルは本土が小さく、人口も少なかったことから、大陸発見による恩恵は長く続かなかった。スペインはポトシ銀山などで莫大な富を得るが、国内の産業は発展しなかった。

ポルトガルとスペインの短期的な繁栄に代わって、植民地支配を経済的な覇権に結びつけたのがイギリスとオランダである。

コロンブスがアメリカを発見するまで、ヨーロッパの経済と交易は地中海を中心としていた。アメリカから銀やトマト、ジャガイモ、トウモロコシなどの穀物が入り、アメリカとヨーロッパの貿易が拡大すると、覇権争いの舞台は地中海から大西洋とインド洋に移った。

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