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怠け者は思考して行動しない。義務とリスクは幸福である|アラン「幸福論」

アラン(エミール・オーギュスト・シャルティエ、1868-1951、フランスの哲学者)の「幸福論」(宗左近、中央公論新社、2016、以下「幸福論」と記す)は九十三編のエッセイ集です。その三十八「倦怠」から、怠け者と倦怠について考えます。

ひよこのイラスト

あきらめの会

エッセイの前半でゲーテの「ヴィルヘルム・マイスター」を例にあげています。この作品に「あきらめの会」というものが出てきます。所属する人は過去や未来を考えてはいけません。何も考えないで、ただ何かをしなければいけないのです。

アラン「幸福論」ではしばしば体操の重要性が説かれますが、ここでもやはり同じようなことが主張されています。

手や目が忙しく立ち働いていなければならない。知覚し、行動すること、これが真の療法である。その反対に、たいくつして指をひねくりまわしていれば、やがておそれや悔恨のなかに落ちこむにちがいない。考えるということは、必ずしもたいへん健康とはいえない遊戯のようなものだ。
「幸福論」p119

「小人閑居して不善をなす」ということわざがあります。人は暇であるとろくなことをしないという意味です。退屈な時間、一点を見つめて過去をふりかえっているような時間は、実に不健康であり、ろくなことが起きないのです。

そしてアランはルソーの言葉を借りて

考えてばかりいる人間は堕落した動物である
「幸福論」p120

と述べています。

義務とリスクをとる

アランは、怠け者は不幸であると説きます。やることがないと、人はどうどうめぐりに同じことを考えるようになります。特に男性はその内向きの思考に苦痛を覚えるようになるとアランは言います。

本書の主題である幸福論から考えると、不幸を除去する簡単な方法は、義務を増やすことです。以下、本書の表現にやや不適切な部分がありますが、ご了承ください。

金持連中の生活を満たしているさまざまな用件を理解するのに役立つ。連中は、無数の義務や仕事を自分でつくり出しては、火事場へでも行くように駆けまわる。…かれらには、新しい行動や知覚が必要なのだ。望んでいるのは世間のなかで暮らすことであって、自分のなかで暮らすことではない。…もっとも単純な連中は、鼻や横腹を猛烈になぐられて遊ぶ。これで現在にもどされ、かれらはたいへん幸福である。…(こうしたものが)倦怠に対する療法である。
「幸福論」p121

苦痛にはいろいろな種類があり、不幸にもいろいろな種類があります。ここからは当記事執筆者の独自の解釈が入りますが、アランは数ある苦痛でも退屈は最上級の不幸であると考えているようなところがあります。

この不幸を除去するためには世間に出て忙しくしていないといけないわけですが、究極的にリスクをとってまで行う必要があるということです。リスクをとって損するかもしれない危険な状況は、それ自体が不幸を呼ぶ可能性はあるにしても、倦怠と無縁の場所に自分を持っていくことができます。

生きている者は死を恐れます。それはまぎれもなく生きているからです。つまり生を持っているからです。そして生きるか死ぬかという瀬戸際にいるとき、人は必死になるので倦怠と無縁の世界で生きることができます。

何かを所有しているとき、その所有を賭けた戦いに挑むとき、人は怠け者でない存在になり、倦怠という最悪の不幸を免れるのです。そしておそらく、それが人が最も生き生きとした、幸福な人の姿です。

目次(アラン「幸福論」)

概要
37. 夫婦(夫婦関係を悪化させない方法)
38. 倦怠(怠け者は行動しない)
67. 汝自身を知れ(最大の敵は自分である)
78. 優柔不断

参考文献

アラン「幸福論」(宗左近、中央公論新社、2016)

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