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幕末前の江戸時代まとめ 時代を四つに分けて徹底整理

江戸時代は1603年から1868年まで続いた時代です。ここでは江戸時代を初期、元禄期、改革期、幕末期の四つにわけて説明しますが、この区分は当記事オリジナルのものです。

時代区分 将軍 主な出来事
初期 1 家康
2 秀忠
3 家光
武家諸法度
禁中並公家諸法度
参勤交代
鎖国
元禄期 4 家綱
5 綱吉
6 家宣
7 家継
生類憐れみの令
元禄文化
改革期 8 吉宗
9 家重
10 家治
11 家斉
12 家宣
享保の改革
寛政の改革
天保の改革
国学の発達
幕末期 13 家定
14 家茂
15 慶喜
黒船来航
安政の大獄
禁門の変
長州征伐
薩長同盟
大政奉還

江戸時代初期(1~3代)

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は日本を統一するためにさまざまな決まり事を作っていきます。豊臣家に勝ったとはいえ時代は不安定であり、再び戦国時代に戻る可能性があったからです。

「日本を統一する」とは「大名と朝廷を支配する」ことを意味します。これは家康の立場になって考えてみるとわかります。

全国の大名を支配できなければ日本を統一したとはいえません。もし一つでも自分に従わない大名がいたら、明智光秀が織田信長を滅ぼしたように自分(家康)もまたその大名に滅ぼされてしまうかもしれない。

また、朝廷も支配する必要があります。朝廷は征夷大将軍を任命できるため、朝廷を支配しないと他の大名が征夷大将軍になってしまう危険があるからです。

以上から家康は、大名を取り締まる武家諸法度と、朝廷を取り締まる禁中並公家諸法度を制定しました。

1615年 武家諸法度
1615年 禁中並公家諸法度

1635年 参勤交代

三代将軍徳川家光は幕府の支配をより強くするために参勤交代という制度を作りました。

参勤交代により各大名の妻子は江戸に住むことになり、各大名は一年交代で自分の領地と江戸を往復することになりました。多くの家臣を連れての長旅にはたくさんのお金が必要になるため、大名はとても苦しむことになります。

参勤交代により徳川家の支配はいよいよ固まりましたが、さらにとどめをさすように鎖国制度をとります。

戦国時代に鉄砲が伝来して以降、大名はさまざまな国と貿易しお金を得てきました。大名の貿易を野放しにしては大名が力をつけてしまいます。そこで参勤交代と同じように、大名のお金が増えないように貿易そのものを取り締まることにしました。まずポルトガル船の来航を禁止し、続いてオランダ商館を長崎の出島に封じこめます。さらにオランダと中国以外の国との貿易は禁止されました。こうして鎖国が整いました。

江戸時代初期は徳川家が大名を支配するために厳しいルールを作った時代でしたが、ルールができたからこそ不安定な戦国時代が本当の意味で終わったのです。

江戸時代元禄期(4~7代)

元禄期は江戸時代の黄金期です。徳川家光が参勤交代制度などを整えて幕藩体制を確固たるものにすると、世の中が平和になりさまざまな文化が生まれました。日本史では平和が文化を生むのです。反対に不安は宗教を発展させます。

(参考 日本で文化が栄えた時期まとめ)
・平安時代初期~中期 … 源氏物語などが成立し、ひらがなが誕生
・室町時代初期~中期 … 金閣寺や狂言・水墨画に代表される北山文化と東山文化
・江戸時代元禄期   … 元禄文化(松尾芭蕉、近松門左衛門、井原西鶴など)

どれも平和な時代です。平安時代は文字通り平和な時代が長く続きましたが、その中でひらがなという文化が花開きました。ひらがな、狂言、俳句、歌舞伎といった日本固有の文化はすべて平和な時代に生まれていることがわかります。

(参考 日本で宗教が発展した時期まとめ)
・飛鳥時代 … 朝廷内で仏教が広まる
・鎌倉時代 … 浄土宗や曹洞宗などいわゆる鎌倉仏教が生まれる
・明治時代 … キリスト教的文化が広まる

どれも非常に不安定な時代です。飛鳥時代は天然痘などの病気が広まった時期で、その救いを求めるように仏教が朝廷内に広まりました。鎌倉時代は大飢饉や蒙古襲来などで国内が乱れていた時代で、浄土宗や曹洞宗などさまざまな仏教が生まれました。

5代将軍徳川綱吉の時に元禄文化が花開き、商人などの民衆にもその文化が広まります。元禄文化は①芸術と②学問の二つに分けて、芸術は松尾芭蕉、近松門左衛門、井原西鶴の三人、学問は林羅山、山崎闇斎、荻生徂徠の三人をまずは覚えましょう(学問は高校生のみ対象)。元禄時代の学問は後述します。

人物 芸術・作品
松尾芭蕉 俳句
近松門左衛門 曾根崎心中
井原西鶴 好色一代男

国語の時間で勉強する五七五の俳句は松尾芭蕉が作りました。近松門左衛門は歌舞伎(かぶき)の作者で、代表作は『曾根崎心中』。井原西鶴は浮世草子(うきよぞうし)の作者で、代表作は『好色一代男』。

また元禄時代の中心的人物である徳川綱吉は生類憐れみの令を出し、犬などあらゆる生き物の殺生を禁じました。しかし綱吉の死後、生類憐れみの令はすぐに廃止されました。

江戸時代改革期(8~12代)

改革期はそれまでの平和が少しずつ崩れていく時代です。将軍や老中が政治改革を三回行いました。順番に享保の改革、寛政の改革、天保の改革といいます。定期テストや受験で最も問われやすいところなので注意してください。

改革 中心人物 やったこと
享保の改革 徳川吉宗 目安箱
小石川養生所
寛政の改革 松平定信 囲米
天保の改革 水野忠邦 人返しの法

徳川吉宗はそれまでの将軍と違い、率先して多くの政治的な改革を行いました。これを享保の改革と言いますが、まずは目安箱と小石川養生所の二つを覚えましょう。民衆の意見を聞くために備えられたものが目安箱で、民衆の怪我や病気を治すために作られた病院が小石川養生所です。

※享保の改革は他にも公事方御定書、新田開発、相対済し令など多くの政策がありますが、ひとまず置いておきます。

吉宗の将軍在位中、享保の大飢饉が起きて米の値段を高騰し、江戸で打ちこわしが起きました。打ちこわしとは、米を買い占めるなどして米の値段を上げた問屋などが襲われる事件のことです。

享保の改革からおよそ三十年後、天明の大飢饉によって天明の打ちこわしが起きて世の中が不安定になり始めたことを背景に、松平定信という老中が政治を立て直そうとさまざまな改革を行いました。これを寛政の改革と言います。寛政の改革も享保の改革と同様覚えることはたくさんありますが、ひとまず囲米(かこいまい)だけを覚えましょう。

囲米とは、飢饉に備えて米を備蓄しようという政策です。世の中がおかしくなり始めたきっかけは天明の大飢饉であったため、飢饉に備えることは幕府にとって急務だったと考えられます。

しかしその五十年後、再び天保の大飢饉が起きてしまいます。この大飢饉によって大塩平八郎の乱という大規模な反乱が起きましたが、これをきっかけに老中の水野忠邦が松平定信と同じように改革を行っていきました。これを天保の改革と言います。天保の改革では人返しの法が有名です。これは江戸に入ってきた地方の人たちを強制的に地元に帰らせるものです。

こうして三つの改革を見ると、どれも『飢饉』が背景にあるとわかります。飢饉によって民衆が貧しくなり、打ちこわしなどの反乱が起きて、改革が始まる。この流れをまずはつかみましょう。

ポイント:
飢饉 → 打ちこわし(反乱) → 改革

三大改革が行われる間、実は明治維新の原動力となった尊王攘夷思想がいよいよできあがってきます。これは下の「元禄時代に生まれた学問」と「国学と尊王攘夷思想」を参照してください。ここからは中学生以上が対象になりますが、中学受験を狙っている小学生の方はぜひ理解してください。

江戸時代幕末期(13~15代)

幕末期は幕末期のみでまとめます。

国学と尊王攘夷思想

国学とは、日本固有の思想や文化を調査・研究する学問で、代表的な学者に賀茂真淵と本居宣長がいます。本居宣長は賀茂真淵の弟子です。二人が大成した国学はやがて神道と合流し、平安時代までの天皇中心の世界を取り戻そうという尊王論につながっていきます。

日本史の試験では賀茂真淵と本居宣長の業績がしばしば問われます。詳しくは江戸時代の国学まとめ 賀茂真淵の「ますらおぶり」と本居宣長の「たをやめぶり」を参照。

元禄時代に生まれた学問

人物 学問
林羅山 朱子学
山崎闇斎 垂加神道
荻生徂徠 古学派

江戸時代の学者で最も重要な人物は林羅山。林羅山は藤原惺窩という朱子学者の弟子で、江戸幕府の政治に深く関わりました。いわゆる士農工商(各人はそれぞれの職分をまっとうするべしという考え)は江戸幕府の支配体制に不可欠でしたが、これは林羅山の思想を基礎としています。

教科書(特に小学校と中学校の教科書)であまり扱わない山崎闇斎という学者は、実は日本史に大きな影響を与えています。幕末に起きた尊王攘夷運動は元をたどると山崎闇斎の垂加神道に行き着きます。

飛鳥時代に聖徳太子が仏教を広めてから、日本にもともとあった神道はしばらく歴史の表舞台から遠ざかってしまいました。神道は日本固有のものですが、仏教は外国からきたものです。幕末で活躍した人たちは外国から独立した強い日本を目指すために、この日本固有の神道を大切にしたのです。その神道を独自に研究し、神道こそが大切であると説いたのが、山崎闇斎でした。

※尊王攘夷思想は山崎闇斎の垂加神道と本居宣長の国学を源流としている。

荻生徂徠はやや時代が下る学者で、徳川吉宗に仕えて政治に関わりました。荻生徂徠は古学派の一人で、古学派は元禄期に生まれました。

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