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「学校が辛い…」いじめが消えない理由と学校からいじめを減らす方法

いじめにあって「学校が辛い…」という人は多いと思います。いじめは奨学金と同じく、現代の学校で最も深刻な問題ですね。

いじめ

残念ながら、いじめはどんな場所にもあります。学校を出て社会人になっても、いじめのある職場はあるでしょう。地域のコミュニティーでも誰かをのけ者にするところはあるでしょう。

いじめは昔からあります。いじめは人の差別意識、優越感、劣等感にもとづく排他的な感情にもとづき、そういった意識はいつの時代、どんな人間にもある程度あるからです。

だからといって「いじめがあってもしょうがないよね」ではすまないわけです。いじめがあるという状況を無視することが、間接的にいじめの加害者になることに等しいのだから。

学校では多数派が少数派を圧倒する

私も普通の学生と同じように、小学校から大学まで19年間を学校という狭い環境で過ごしてきました。いじめられたこともあります。いじめを見て見ぬふりをしたこともあります。無作為に弱者を抽出するようないじめっ子がいるクラスを、私は4年間ほど過ごしました。

そこで得たものは、黙ることでしか被害を避けられない状況もあるという知識だけでした。

なぜ学校でいじめが起きるのでしょう? そしてなぜ消えないのでしょう? 最大の原因は学校の閉鎖性にあります。学校は社会から離された狭いコミュニティーで、しかも学生は一日中そこにいる。

例えばあなたがAという意見を持っていて、他の大多数がAと反対のBという意見を持っていたとしましょう。一日何時間もそこにいて、しかも一年中そこにいて、四六時中その意見について話し合っていたとします。最後はどうなるでしょうか?

他のみんながBを正しいと思っていて、あなたの意見を間違っていると言う。この状況はかなりしんどいものがありますね。学校から出れば、あなたの意見を聞いてくれる人はたくさんいるでしょう。でも学校は人数が絞られるので、少数派は大きな力を持ちません。

未熟な考えが支配的になる

社会では高齢者が中年者を、中年者が青少年を監督するようなピラミッド構造ができています。しかし学校はわずかな教員が大人数の学生を教育する場所です。コミュニケーションのほとんどは生徒どうしのフラットなもの。

社会では、年長者がいつも「悪」がないかどうかを監視しているので、未熟な考えや行動が支配的になることはありませんね。これが健全な市民社会で、国として成熟するというのはそういうことなのです。

無数の監督者、監視者がいる状況で、特定の人が横暴にふるまうことは難しい。学校のいじめっ子も、学校を一歩出れば横暴なふるまいができなくなるでしょう(する人もいるでしょうけど)。

しかし学校はそもそも未熟な青少年の集まりなので、いじめという「悪」が支配的になりやすい。監督者がわずかな数しかいない先生で、その先生も生徒と有機的に人間関係を持っている。生徒と友だちのような関係になっている先生もいる。その状況で先生が、あたかも社会での警察のように機能するでしょうか?

参考:学校に行きたくないは甘え。不幸に慣れる訓練をしよう。

SNSやラインがいじめの温床になっている、かもしれない

私は直接の当事者ではないので、TwitterやFacebook、LINEなどがいじめにどう関わっているか言う権利はありません。しかしこうしたものが誰か一人をのけ者にするためのツールになったり、いじめられている人の陰口の温床になっている状況は考えられます。

じゃあSNSやLINEを生徒から没収すればいいかというと、問題の根本的な解決になっていない。インターネットが出てきていじめの陰湿さは過激になったかもしれない。もしそうだったら、やはり学校と家庭が協力してSNSやLINEの使用を監督するしかない。ただ個人的には、インターネット上の監督はいたちごっこで、問題解決にならないような気がします。

学校からいじめを減らすには、学校と社会をつなげるしかない

いじめが地球からなくなることはたぶんない。人間関係を作るということは、傷つく可能性があるということ。でも、それをどうにかするという姿勢を持つなら、社会と学校の関係を変えないといけない。これは次の記事の夏野剛氏の発言が参考になります。

どれだけ話しても取り合ってもらえなかった…「いじめ探偵」と一緒に学校・教育委員会と闘う高校3年生が告白

海外では実業と教師が転職で行ったり来たりしている。終身雇用で、ずっと先生しかやっていない人ばかりなのは日本だけだ。だから何か問題が起きたとき、"睨まれると怖いから、何となくそのままにした方がよい"となってしまう。それに加えて、学校と部活が同じ場所にあるコミュニティということも問題なので、部活を廃止し、地域のクラブチームのようにすべきだ
「どれだけ話しても取り合ってもらえなかった…「いじめ探偵」と一緒に学校・教育委員会と闘う高校3年生が告白(AbemaTIMES, BLOGOS)」より引用

この意見はいじめ撲滅のための第一歩のような気がします。「学校と部活が同じ場所にある」。学校はなにからなにまで独自の環境を用意しているため、学生は学校内で「社会の厳しい監視」から逃れられる。だからいじめをしても許されると錯覚する。

しかし学校と地域のコミュニティーや会社が混ざればどうでしょうか? 部活は地域のコミュニティーが主催するクラブチーム、午後の一部の授業は大手予備校などの有名先生が教える、といった工夫で、学校に社会の空気を流しこむことは可能です。

部活を地域コミュニティーのクラブチームにすれば、自ずと学生は学校外の生徒と行動するようになります。そこで新しい人間関係が作られ、その学校だけで存在していたスクールカーストも少しはリセットされるでしょう。外部の先生が教壇に立てば、その時間は生徒は気を引きしめて授業を受けるでしょう。

いじめを減らすための話し合いをしないと、いじめは減らない

いじめ問題を扱う記事は増えています。それは社会全体にとっていいことだと思います。こうした記事や議論が活発になっていくことで、いじめが社会問題であり、加害者になることがリスクになっていくと本人たちもわかっていくからです。

社会が成熟していくと悪者は糾弾され、逆に追いつめられていきます。上で引用した記事のような議論が出てくることで、生徒の親たちはいじめ問題に敏感になり、自分の子どもがいじめの加害者になっていないか注意するようになるでしょう。そうして敏感な子どもは、だんだんといじめという劣悪な行為から遠ざかるようになるでしょう。

いじめ問題は学校だけで対処できる問題ではない。学生は学校よりも社会の意見を聞くところがあります。社会は冷たく、厳しい場所であるとわかっているからです。だからこそ社会全体がこの問題にあたる必要があります。

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