自由意志と決定論:データの三値問題が気まぐれをつくる
ブール型は true または false しかないが、データベースは null も許容している。これはソフトウェアのモデルを複雑にして、結局はシステム全体に影響する。これを三値問題という。
社会と経済は自由意志と決定論という大きな枠組みの中で進化したが、この三値問題こそが両者の根にある。
- 自由意志 … null を許す
- 決定論 … null は許さない
決定論
決定論は、すべては因果で成立すると主張し、現象を論理的な鎖にみたてる。鎖を構成するすべての部品は true または false を意味する。もし途中に false があったら鎖はそこで終わり。それ以降の鎖に意味はない。決定論や因果論はこうした発想の上にある。
決定論は数学的だが、数学的な量子力学は決定論をそれとなく否定する。量子力学はあいまいな状態をとらえるが、これは社会や経済、あるいはシステムやデータベースが「わからない」「適用できない」という例外をもつことと似ている。
「データとはなにか」「データベースはどのように設計されるべきか」という問題を考えると、null の追放は不可能だという結論に毎回行きつく。あらゆる変化は true または false で記述される、つまり null は許されないという決定論はおそらく一種の偏見にもとづく。
自由意志
自由意志を唱える人は、人には自由な思考があり、すべてを決定するなにかなど存在しないと考える。自由意志は根本的に人の気まぐれを考慮し、気まぐれという自由を人の尊厳につなげる。
気まぐれという null は確かにある。わからないという状態、存在するかしないか認識できないという状態、そもそも考えてないという状態がある。これらは人の行動を含むすべての統計に潜んでいる。
ブール型という最も単純なデータが null というあいまいな状態をもつから、人の行動も社会・経済のシステムもあいまいに変化する。気まぐれは神秘的なものでなく、数学的に解決された値といえる。
そして「嘘」へ…
自由意志と決定論は二項対立のように語られるが、実はその向こうにもっと複雑な真実が隠されている。それが「嘘」である。欺瞞は自由意志と決定論を超えたレベルで社会進化をコントロールしている。
嘘はそれ自体で嘘と証明されない。自分で嘘をついていることを知りながら、自分は嘘をついてないと主張する人がいる。これは二重の嘘だが、もっと複雑なパターンもある。真実を言っているが、人にはそれが嘘か本当かわからないように主張する場合だ。
嘘は true でも false でもないが、実は null でもない。嘘はその中に真偽または null 値を含んだカプセルだ。当事者は情報を知っているが、それと逆を表面に見せているという状態が嘘である。
世界は嘘に満ち、嘘が世界を動かすこともある。嘘という概念を正面から切りこまないと、自由意志と決定論の裏にある社会科学的な本質はわからない。
自由意志と決定論はそもそも人の誠実さを前提にしている。しかし自由や因果と次元の異なる「嘘」こそがあらゆるものを動かす。嘘はデータのくせにデータとして価値がない。しかしほとんどの人は嘘を嘘と認識しない。嘘はデータの相対性にもとづいている。
数年前から始まった人工知能ブームは数十年前から何回かあったそれとほとんど差がない。ほとんどの人が人工知能と言っているプログラムは、データを餌にした機械学習にすぎない。人は嘘という相対的価値をもつデータをつくるが、プログラムは永遠にその価値を理解できない。なぜなら、人が嘘をつくのは人が人であるゆえだが、プログラムは人ではないからだ。
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