連載 ミニ自己啓発

善人と賢者が諦めてなにもしないから悪がのさばる

エドマンド・バークが言うように、悪がのさばるのは善人や賢者がなにもしないからです。善と悪はさまざまで、完全な善人や悪人はこの世にいませんが、悪という概念はたしかにあります。

私は 2015 年頃から日本が後進国になった理由と社会現象といった記事で「日本の知性は著しく劣化した」「日本は後進国になった」と言っていますが、その理由は悪の一般化にあります。大衆紙が芸能人のゴシップを追いかけるのも、教員が犯罪をおかすのも悪で、そうした悪は市民全体の知性を貶めます。

まともな人がなにも言わないから、悪が一般化する

善と悪も、人の気質としての善悪も二極化することはできません。二極化すると、「お前のしていることは悪だ」と言っても「いや、お前もうんたらしているだろ」と言われてしまう。

つまりバランスの欠いた道徳判断は議論を無意味にするのです。私たちはソーシャルメディアなどを通して概念を数値的に把握するようになったので、あらゆる社会的判断はバランスを失いました。こうして議論は砂漠のようになり、悪を止める善が薄れていきました。

賢い人にとってこの事実は常識です。そして常識だということさえ口にしません。賢い人(ずる賢い人)は、バランスが消えた文脈において悪より強いものはないと知っているため、最初から勝負しない。

どうして悪が強いか?

ほとんどの場合、悪は失うものがない人の武器です。所持品がない人はとても手軽に行動しますが、同じように信用や財産のない人もまた身軽に悪をふりかざす。

現代の悪はたいてい、他人の心理的・社会的弱点を突く一方で、自分を守るための盾にもなっています。つまり悪は自己肯定感が強いのです。

善はどうでしょうか?

一定以上の倫理的思考力のある人は、いつも自己矛盾と戦い、悪を批判する資格がないとひそかに悲観しています。つまり悪はそもそもポジティブで、善はネガティブなのです。ポジティブな感性は力強く、ネガティブな感性は軟弱なので、善は最初から悪に負けることになります。

私たちはどうすればいいのか?

悪を封じこめる方法の一つは、悪を無視することです。善悪はさまざまな情報にのって広がります。悪が広がるのは、悪を積んだ情報が広まることです。悪を処理するには、悪をのせた情報を無視することがてっとり早い。

都知事選を利用して自分の知名度を維持する行為をマス・メディアがとりあげないことは正しい判断といえます。

もう一つは、賢い人が自己肯定感をもつことです。うぬぼれと自己肯定は違います。賢い人は日本の未来が暗いとはっきり確信して、その中にいる自分を否定するところから思考をめぐらせますが、その習慣をやめることが不可欠です。すべての人はどこかに邪悪な部分をもっていますが、それ以外のまともな自分に目を向けないといけません。