秋の田の
かりほの庵の
苫をあらみ
わが衣手は
露にぬれつつ
天智天皇『後撰和歌集』秋中(三〇二)『小倉百人一首』一
秋の田の近くの
仮小屋の
苫(の編み目)がとても粗いので
私の袖は
露にぬれていくばかりだよ
想定される一人称「私」は農民と考えられます。天智天皇がまずしい農民の苦労を思いやって詠んだものかもしれません。
つつは接続助詞で、反復・継続を表します。ぬれていくばかり、と訳されます。
「つつ」はあくまでも接続助詞であり、終助詞ではありません。文末の助詞=終助詞ではないことに注意。
天智天皇の「秋の田の…」は中学校でも高校でも必ず習う、最も重要な和歌の一つです。ポイントになる文法は「かりほの庵」と「苫をあらみ」。
「かりほ」は仮庵が縮まった言葉ですが、その後にまた「庵」は続きます。同じ意味の単語を重ねて歌のリズムを整える技法を反復といいます。
自動車の車、書籍の本、ドアの扉などと同じです。
高校古文の文法で必ず出てくる瀬をはやみの文法。
名詞(A)+を+形容詞語幹(B)+み
→AがBなので
「あら」は形容詞「粗し」の語幹であり、「苫が粗いので」という意味になります。
天智天皇(六二六~六七一)