このたびはぬさもとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに|菅家|小倉百人一首
このたびは
ぬさもとりあへず
手向山
紅葉の錦
神のまにまに
菅家『古今和歌集』羇旅(四二〇)『小倉百人一首』二四
注 手向山は「たむけやま」、錦は「にしき」と読む。菅家(かんけ)は菅原道真をさす。また羇旅(きりょ)は旅行のこと。
現代語訳
このたびの旅は
幣を捧げることもなかなかできません
お供えする山の
錦のように美しい紅葉を代わりに捧げますので
神さまのお心のままにお受けとりください
文法
このたびは
「このたびは」の「たび」は「度」と「旅」の両方にかかっています。もともと『古今和歌集』の羇旅(旅行)の詩で、枕詞に「朱雀院の奈良におはしましたりける時に手向山にてよみける」とあります。
ぬさもとりあへず
ぬさ(幣)…錦の切れ端でつくられた捧げ物
とる…捧げる
あへず…できない
「とりあへず」は要注意単語。古文の「とりあへず」は基本的に「すぐに」という意味をもつ副詞ですが、この詩では「捧げることができない」という意味になります。
手向山
手向山は富士山などの固有名詞ではなく、お供えする山のこと。
神のまにまに
「神の思うままに」という意味。「まにまに」は漢字で「隨に」と書いて、相手の意志や行動に任せること。
作者
菅原道真(八四五~九〇三)
宇多天皇のもとで右大臣になるが、藤原時平の策略によって大宰府に左遷される。
作品
- 『菅家後集』
- このたびはぬさもとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに
小倉百人一首
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小倉百人一首の和歌と作者一覧|高校古文0413