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共和政ローマのパトリキとプレブス

共和政ローマはエトルリア人によるローマ支配の後の秩序のこと。

貴族と平民

共和政ローマが確立される前から「貴族(パトリキ)」と「平民(プレブス)」の区別があり、共和政ローマの軍務などを行う執政官(コンスル)は貴族から選ばれた。コンスルは 2 名で、任期は 1 年である。

パトリキ … 貴族
プレブス … 平民
コンスル … 執政官

コンスルは貴族から選ばれたが、前 367 年のリキニウス・セクスティウス法によって平民からも1人選ばれるようになった。

元老院

一方、ローマの長老などもともと存在していた権力者の集団(コンスル出身者などを含む)である元老院が政治の実権を握っていた。

護民官と平民会

貴族と平民の区別に不満を持っていた平民たちは、身分闘争によって権利の拡大に努めた。前 494 年、平民の一部はモンテ・サクロに立てこもり、護民官を選び、平民会を設置し、自らが政治的主体であると主張した。これを聖山事件という。

護民官は平民版の「執政官(コンスル)」のこと。

聖山事件という平民の反乱によって、貴族は十二表法とリキニウス・セクスティウス法を定め、平民の権利を少しずつ認めた。

十二表法

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