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高校倫理に出てくる人類史上最も偉大な哲学者7人

学問的な裏付けのある「最も偉大な学者」というリストは存在しない。しかしここにあがっている哲学者が、現代社会と個人の一生に影響を与えていることは間違いない。

1 ソクラテス

数えきれないほど戦争を重ねても、人間の歴史はいまだに続いている。その理由は、人間が「無知の知」を知っているからかもしれない。

ソクラテスの「無知の知」は、知らない状態、自分の愚かな状態をソクラテス以降の歴史に生きるほぼすべての人間に間接的に教えています。戦争をくりかえしても平和が訪れて、人間が真に壊滅的な結果をむかえていないのも、「私たちは基本的に愚かである。したがって核兵器を使って戦争しようものなら、これまで作りあげてきたすべての歴史は終わってしまう」と直感できているからです。

多くの市民が歴史に対して抱くこの危機感と責任こそ、ソクラテスの残した最大の功績かもしれない。

2 プラトン

私は理系の学生でしたが、古典と哲学に興味があったため、大学一年生のときに西洋哲学史という授業を受けました。一人の教授が四人しか受講していない寂れた教室で訴えていたことは、「西洋哲学はプラトン哲学の翻訳である」ということです。

当時、残念なことに東洋哲学に興味がなく、西洋哲学史と科学史に傾倒していたため、教授の思想はどこかしっくり胸奥に残りました。

かなりの飛躍になりますが、プラトンのイデア論は時を超えて大陸合理論とイギリス経験論にも影響していると考えられます。イデアは人間と真実を区別しますが、その考え方は物心二元論の原型とも考えようによっては考えられるからです。

また、プラトンの国家論は現代社会に適用できます。高校倫理の始めに出てくるように、プラトンは人間の魂を理性、気概、欲望に分けて、それぞれを担当する社会的階級を定義しました。

理性 → 統治者
気概 → 防衛者
欲望 → 生産者

資本主義と市場原理は、私たちの欲望を自由という言葉で正当化し、価格と生産を最小限の規制によって調整しようとします。統治者(国と政府)という理性が、生産者(市民と企業)という欲望を抑えているわけです。

防衛者に相当する部分は警察と軍が担っています。

プラトンは理性、気概、欲望に必要な徳は知恵、勇気、節制であると説きました。つまり国と政府に必要なものは知恵であり、警察と軍に必要なものは勇気であり、私たちと企業に必要なものは節制です。

プラトンの主張のように、各階級が徳を実現して初めて全体の正義が成り立つのであれば、市民である私たちはやはり社会全体に責任を持っているということになる。サルトルの考えを引用するまでもなく、プラトンの国家論は一人一人のアンガージュマンを要求しています。

3 老子

私が個人的に最も関心を持っている東洋の思想家は老子です。吉田兼好の徒然草にあるような淡白な世界観に加えて、作為と悪意という人間独自の賢しさを断罪するような主張は、私を含む「今の若い世代」にとって傾聴に値するテーマといえるでしょう。

ニーチェの永劫回帰と力への意志から自分の人生を考えるで述べているように、社会は(インターネットの普及にともなって)無機的な方向に流れていると考えられます。若い世代が労働に憎悪を抱く原因の一つは、組織の大規模化にともなう労働の事務化にあります。

官僚主義が広がる現代において、粘土をこねて器を作るような作業は端っこに追いやられて、紙にサインするような作業が中心となっています。私たちの人生の半分以上は労働に縛られているため、紙にサインするという無機的で冷たい作業が人生の半分を占めることになります。

若い世代はこの傾向に本能的な危機感を抱いていると考えられます。

ここで老子の次の言葉を紹介します。

  • 無為自然 … 知恵を捨てて自然に従う
  • 柔弱謙下 … 謙虚・柔和に生きる

歴史は常に知識と技術を求める方向に流れてきましたが、老子の思想はこれに水をさして、人間の知恵など取るに足らないと唱えます。

労働がこれほど冷淡になったのも、技術が過剰に進歩して社会が複雑になったからでしょう。逆に考えれば、進歩を逆行すれば労働に有機的な味わいが出てくるかもしれない。

また現代の無機的な側面はコミュニケーションの活字化にも現れている。多くの人はSNSとメールとインターネットの活字に喜び、あるいは怒っています。

その結果、本来持っていた謙虚さや柔和な態度が削がれて、コミュニケーションが刺々しくなっている状況があります。これも賢しい知識と技術の発展による負の遺産の一つです。

インターネットを流れる文字によって負の感情がエスカレートしたときは、老子の主張する柔弱謙下を思い出すといいかもしれません。

4 デカルト

デカルトの物心二元論と演繹法は人間の持っている合理性を正当化するうえで外せないと考えられますが、ここではデカルトの残した「理性の扱い方」について考えます。デカルトは『精神指導の規則』で理性を次のように扱うように説いている。

  • 明らかであるか考慮しなさい
  • 分類しなさい
  • 不足を考慮しなさい
  • まずは単純なものを考えなさい

以上の四つを念頭に置くと建設的な議論ができると考えられます。

5 カント

カントの三大批判書はあまりに莫大で、あまりに難しいため、ここではカントの道徳法則についてわずかに考察して終わります。

カントの道徳のポイントは定言命法です。

仮言命法 … もし~ならば、~しなさい
定言命法 … ~しなさい

例えば人を傷つけてはいけないというルールはなぜ正しいのでしょうか。人を傷つけたら、警察に捕まるから? それとも、その人が傷つくから?

どのように考えるかで、その人の道徳がわかる。警察に捕まるから、という仮定によってルールをルールたらしめる方法を仮言命法といいますが、カントによれば仮言命法は道徳ではない。

人を傷つけてはいけないのは、人を傷つけてはいけないからだ、という自分が自身を正当化しているとき、そのあり方を定言命法といいます。カントはこの定言命法を道徳と考えました。

この考え方は小学校の道徳の時間で教えるべきだと私は思います。物を盗んではいけない、人を傷つけてはいけない、人をいじめてはいけない、といったルールの根拠を考えさせたうえで、その根拠がルール自体にあることが道徳であると教えることで、その人間の道徳は養われるのではないでしょうか?

6 ダーウィン

ダーウィンは『種の起源』で進化論を説いた学者で、哲学者という見方をしない人もいると思いますが、進化論という概念が社会と歴史に与えた影響ははかりしれないため、このリストに加えました。

進化論においては、環境に適応できない存在は滅びるとされます。これほど恐ろしい概念があるでしょうか? そして私たちは多くの場面でこの考えが正しいことをつきつけられています。望まれない商品を作りつづける会社はつぶれるように。

学校で、会社で、社会で、あるいは家で、この考えは人間の領域にまで適用できる普遍的な崇高さを持ってしまっています。

個人が生き方を考えるうえで第一に意識しなければいけない法則が、この適者生存です。私は個人的に、適者生存はあらゆる思想で最も重大であると考えています。

また、この適者生存(あるいは自然淘汰)の法則は、人間が生物である宿命を免れないことも間接的に訴えているでしょう。

ソクラテスとプラトンが人間について考察してから、私たちはどこか自分の宿命を忘れてしまっているところがあります。

ベーコンが「知は力なり」と唱えたように、あるいはアダム・スミスが人間の欲望と自由を正当化したように、さらにはパスカルが「人間は考える葦である」と言ったように、人間という生き物は人間を人間として考える癖を持っています。

しかし私たちは人間である前に、生物です。

環境に適応できない個人は滅んでしまうのです。

7 ユング

ユングは心理学に多大な貢献を果たした学者で、代表的な理論の一つに「集合的無意識」があります。

私たちは自分を国民であると考えています。私は日本人であるため、私という人間性は日本の影響を受けていると考えられますが、ユングの集合的無意識は、心のさらに奥には国や民族の壁を超えた何かがあると主張します。

人類が普遍的に抱くイメージに、アニマ、アニムス、グレートマザーがあります。アニマは男性が女性に抱くイメージ、アニムスは女性が男性に抱くイメージ、グレートマザーは生と死のイメージです。

民族を超えて人が共通した観念を持っているという考えは、私たちは戦争を止められるという希望につながるでしょう。

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