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哲学とは何か?思想の追求に意味はあるか?という質問にざっくりわかりやすく答える

哲学とは、自分と世界の関係を考えることです。思想の追求を止めた人は、曖昧な関係をずっと生きることになります。

関係とは何か? 原始的な関係はあなたと家族の関係です。家族に愛された人もそうでない人も、独自の人生観から家族の愛を探るでしょう。愛という関係があったから、愛を求めるのです。

友だちと過ごした時間はあなたの人生を動かしたはずです。愛も友情も日常のさまつなあいさつもあなたと世界の関係であり、関係があなたそのものをつくります。

近代は「自分は自分、世界は世界」という分離思想から出発した

近代以降の哲学をざっくりわかりやすく表現すると「二元論」です。この世は表と裏、光と闇のように相反する二つの概念があります。これを二元論といいます。極端にいうと、イギリスとドイツの思想が哲学史の「表」と「裏」として進化し、カントとヘーゲルがその表と裏を止揚したのです。

今の私たちはたぶん、二元論という関係をもとに生きています。私は私、お前はお前、私はお前と違う価値観をもっているから、お前に従う必要はない。こうした考えは今や当たり前です。地域の長老みたいな人に「お前はここに住んでいるから、あの洞窟に入って村の儀式を手伝いなさい」と言われても「はあ?」で終わり。

世界は個人主義です。これは人と世界の関係が分離された哲学的状態です。なにも考えないでいる人も、生きているだけで個人主義という哲学の土俵に立っています。

個人主義の上に、あなたしかわからない哲学をつくるのです

個人主義というインフラの上に、その人と世界の関係をつくる必要があります。関係を分析すると次のような法則が見えてくるかもしれません。

  1. 困っているときに助けてくれる人は実はほとんどいない
  2. 自由な時間が増えすぎると、逆に学校に行きたくなる
  3. コミュニケーションが成立しない人と議論しても、有意義なことは生まれない

関係から気づくことはたくさんあります。上の三つは凡庸な気づきですが、実はそれぞれが学問的に分析され、大きな哲学的体系になりました。

  1. 実存主義(ニーチェ)
  2. 自由からの逃走
  3. コミュニケーション合理性

自分と家族、友人、同僚、上司、恋人、子どもといった人たちの関係、そして自分と社会、自分と自分の関係を見つめてください。すると実存主義といった哲学の端緒がうっすらと見えてきます。

「関係が行動をつくる、つまり人生をつくるなんて、オレには話がでかすぎるよ」というあなたへ

ほとんどの哲学は不満から出発します。あなたに不満はありませんか? 不満がない人はたぶんいませんね。

不満はたいてい関係にあります。「あの人いつもガミガミ怒る」「友だちに裏切られた」といった不満は自分と世界の関係に亀裂が入っていることを示します。もちろんほとんどの人は解決しようと行動します。

その行動はあなたの人生を変えます。行動して不満が消えたら、あなたの人生は良くなります。

行動する前にあれこれ作戦を練るはずです。きっといろいろなことを考えるでしょう。それがあなたの哲学です。哲学は、関係という呪縛とともに生きている私たちの知恵、というよりは生きるための作戦なのです。

結論:哲学とは、人と世界の関係をじっくり考えること。哲学はサバイバルの作戦である。

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