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東浩紀氏の「ゲーム的リアリズムの誕生」を読む前に90年代以降のアニメやマンガの歴史を全部整理してみた:YU-NO、ひぐらしのなく頃に、ソードアートオンラインが重要な理由

ゲーム的リアリズムの誕生という本を読もうと思っています。その前に、私のアニメやマンガ、特に秋葉原的なポップカルチャーの歴史への見方がどんなものかをここに残して、読んだ後でどう修正されるか考えます。

全部整理してみたと言ったけど、長くなったので一部は別記事にします。あと私は女性向けの作品をあまり知りません。いや、古いものは知っているので知らないわけじゃないんですが、最近のものは知らないのです。なので「全部整理してみた」というのはちょっと誇張になります、すみません。

私のサブカルチャー史

全部整理する前に自己紹介をします。サブカルチャー分析は必ず偏見が入ってしまうので、偏見がどういうふうにできるのかを最初に見る必要があるのです。

あらかじめ言うと、私は2000年ぴったりに中学一年生になった人間です。開成高校に残したメモリーズオフ2ndの思い出:試験の解答用紙に南つばめと白河ほたるを書いたのくりかえしになるけど、高校生のときはメモリーズオフなどの作品に触れています。

中学一年生から二年生。ポケモンカードでちょこっと遊んだくらいで特にない。遊戯王はちょこっとやってすぐにおしまい。勉強できないことに劣等感をもっていた。

中学三年生のとき。「A・Iが止まらない!」を読んだり「鳥の詩」を聞いたりする一方で、女性向けのマンガも相当読んで「日出処の天子」「ポーの一族」も中学三年生から高校一年生くらいのときに少しずつ触れています。

高校一年生は開成時代で一番大変な時期でした。辞めなかったのが奇跡なくらい。誰にでもそういうときがあると思います。「メモリーズオフ」「夏色の砂時計」「Ever17」といったファミ通文庫から出ているゲーム作品に触れました。確か「ラブひな」「半分の月がのぼる空」とかも読んだ気がする。映画「マトリックス」もここで見て、なんかいろいろ考えた気がします。アガサ・クリスティーやドストエフスキー、三島由紀夫や谷崎潤一郎といった小説もこのあたりから読んでいる。特に三島由紀夫「仮面の告白」「金閣寺」は何度も読んだ。

高校一年生は音楽が中心でした。KOTOKO や島みやえい子という歌手を知り、I've の曲をずっと聞くようになる。

高校二年生は入院といった大きなイベントがいくつかあって、非常にナイーブな時間を過ごしました。一年を通して源氏物語や大鏡といった古典をずっと読み、病院で入院中、新約聖書を四分の一くらいは読みました。竹宮恵子・山岸凉子・萩尾望都作品をここで大量に吸収。「地球へ」「風と木の詩」「アラベスク」「妖精王」「トーマの心臓」あたりを狂ったように読みました。

高校三年生のときは受験生だったにもかかわらず「東方永夜抄」で死ぬほど遊びまくり、「ひぐらしのなく頃に」の鬼隠し編や綿流し編をプレイしました。「かってに改蔵」を毎日読み、芳文社の四コマ漫画を集めました。多くのクラスメートは「ドラゴン桜」「デスノート」にはまっていましたが、私は見ませんでした。

東大に入ると、受験から解放された解放感でアルバイトで稼いだ金はすべてゲーム、アニメ、マンガに消えました。たぶん 1000 冊くらいの本があって、部屋の天井まで積まれていました。東大で一番マンガを読んでいた自信がありました。なのででかい本棚を買いました。

大学生になった特権で美少女ゲームを買いまくり、いろいろ知りました。メルティブラッドやガンダム SEED のゲームをゲームセンターで遊びまくり、「ローゼンメイデン」などを読みました。

一回留年して大学院に。「シュタインズ・ゲート」「イカ娘」などを見ながら、アメリカから英語版のアニメを輸入するように。「スクール・デイズ」「Serial Experiments Lain」「ちょびっツ」などを英語で見る。

社会人になるとアニメから離れ、クリミナル・マインドや CSI といったアメリカ作品を見るようになり、数年前からイギリス作品も相当見るようになります。

日本のアニメやマンガの歴史

私が知るアニメやマンガの 90 年代以降の歴史は、上の歴史にもとづいています。なんで偏見ありの歴史を書くかというと、サブカルチャーというのはおそらく統一的な見解ができないものだからです。いろんな人たちの思いが複合的に重なり、歴史を作っている。それをざっくりと「こうでこうで、こうだ!」とは言えない。

サブカルチャー分析というのはたぶん、面白いからやるんだと思う。この記事も、私と似た経験をもつ人がきっと見ていて、「うんそうだよね」とか「はあ?違うし!」とか考える。それが面白いんです。

前置きがすごい長くなったけど、90 年代以降のサブカルチャー史は大きな脈が 7 本あります。ここで美少女ゲームという言葉は狭義でなく広義のものと考えてください。

1. 美少女ゲームを基礎とした脈

1996 年発表の「この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO」を始まりとする「AIR」「月姫」「家族計画」「Ever17」の脈

2. ライトノベルを基礎とした脈

1990 年出版の「スレイヤーズ」から始まる「キノの旅」「とある魔術の禁書目録」「ソードアートオンライン」の脈

3. SF ディストピアの脈

「攻殻機動隊」「Serial Experiments Lain」「新世紀エヴァンゲリオン」などの脈

4. 集英社などのメジャー脈

「ドラゴンボール」「セーラームーン」「名探偵コナン」「金田一少年の事件簿」「おジャ魔女どれみ」「デスノート」「進撃の巨人」「キングダム」の脈

5. ガンダムとマクロスのロボット脈

「ウィングガンダム」「ガンダム SEED」「マクロスフロンティア」など

6. 角川や芳文社などの「日常」脈

「あずまんが大王」「よつばと!」「日常」の脈

7. 女性向けサブカルチャーの脈

「フルーツバスケット」などの脈。すみません、ここはよくわかってないです。

最後の女性向けサブカルチャーはすみません、本当によく知らないです。「ゲーム的リアリズムの誕生」という本のまえがきに「AIR」などが出てきますが、この美少女ゲーム脈というのはとても面白い歴史をもっています。

この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO から魔法少女リリカルなのはまで

「この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO」は非常に重要で、日本のアニメ史で外せない作品。美少女ゲームがメジャーになるきっかけの一つであり、いくつかの作品に影響を与えていると考えられます。

といったら魔法少女まどかマギカやシュタインズ・ゲートのファンに怒られるかもしれない。

このダークな作品によって美少女ゲームはなんとなく芸術っぽくなり、月姫などの作品がその道に続きました。その過程で、KOTOKO や島みやえい子、川田まみといった歌手が有名になり、メジャー化して「とある魔術の禁書目録」「灼眼のシャナ」「ひぐらしのなく頃に」などのテーマ曲が生まれました。

「とらいあんぐるハート」という美少女ゲームからアニメ「魔法少女リリカルなのは」が生まれ、そのオープニングテーマを歌った水樹奈々という歌手が一気に有名になりました。つまり、今やなじみ深い作品や歌手も、直接はつながっていなくても、それをとりかこむ歴史は「AIR」の脈につながっているわけです。

ライトノベルの脈

ライトノベルのブームはおそらく「スレイヤーズ」から本格的に始まりました。この一大ムーブメントで角川のライトノベルは巨大になり、電撃文庫とスニーカー文庫は小説家にとってアニメに一番近い存在に。

代表的なライトノベル「涼宮ハルヒの憂鬱」はバンドブームを作りました。たぶん。スマートフォンのバンドゲームはこの作品の存在が大きい。たぶん。

「とある魔術の禁書目録」「ソードアートオンライン」はライトノベルの主流になり、小説家になろうに影響を与え、今の異世界大ブームを作りました。異世界の始まりはおそらく「ソードアートオンライン」です。

一方、ライトノベルは美少女ゲームともつながっています。「Ever17」などのドリームキャスト系ゲームはファミ通文庫に翻訳され、ライトノベルのように世に出ました。

攻殻機動隊と Serial Experiments Lain のディストピア脈

「攻殻機動隊」と「Serial Experiments Lain」は SF という独特な立場でアニメ史を形成しました。私が一番好きな作品は攻殻機動隊です。

このディストピア系は「新世紀エヴァンゲリオン」でダイナミックに進化し、「ぼくらの」などのメジャー作品まで広がりました。SF かどうかは微妙だけど「最終兵器彼女」などもこの脈にあります。天才てれびくんのアニメ「恐竜惑星」「ジーンダイバー」もこの脈です。

ディストピア脈は下のガンダム・マクロスのロボット脈と交差しています。まずエヴァンゲリオンがロボットものです。エヴァンゲリオンは陰鬱な世界観をもちますが、その陰鬱さはガンダムのそれと異なります。ガンダムの軸は戦争と平和、人間の感情と感情の対決。しかし「攻殻機動隊」「Serial Experiments Lain」のテーマは哲学的・実存的な問い。解決でなく問い。ここが決定的に違う。

ドラゴンボール、セーラームーン、進撃の巨人

つまり王道の脈。ここはさらに細分化されますが、それはまた今度書きます。

ガンダムとマクロスの脈

逆襲のシャア以降、ガンダムはいくつかの作品を生んでいます。しかし私はウィングガンダムという作品が最も重要だと思っている。なぜならこれがアメリカに最初に行った作品であり、女性ファンが初めてたくさんついた作品だから。私はウィングガンダムが大好きです。

ガンダムは SEED によって超絶的なブームを起こしました。すごかったですもん。キラ・ヤマトとアスラン・ザラの名前を聞かない日はない。

このとんでもない空前絶後の大ブームによって、他のアニメやマンガは霞んでみえました。と言ったら、ライトノベル好きに怒られるだろうけど。でも、当時はもうとんでもなかったのです。それはもう、ゲームセンターにおける三国志大戦なのであります。

日常の脈

日本のアニメ史に名を刻んだのは、ドラゴンボールやセーラームーンだけじゃない。「あずまんが大王」「よつばと!」「日常」の三つも名を残しました。おそらく日常系は「あずまんが大王」の影響が大きい。だってすごかったですもん、あずまんが大王ブーム。

「よつばと!」「日常」の海外での知名度は異常にすごい。外国人はこうした作品で日本語を勉強しているよう。よつばとのキャラクターは世界で一番でかい掲示板のマスコットになっている。

この脈はおそらく「ちびまる子ちゃん」などの延長にありますが、「あたしンち」などと違うのは、「日常」が萌え文化を継承していることです。

ひぐらしのなく頃にとシュタインズ・ゲート

日本のサブカルチャー脈をつなぐ作品があります。脈と脈が交差するきっかけをつくった作品。それは「ひぐらしのなく頃に」と「シュタインズ・ゲート」。

日本のサブカルチャーは「ひぐらしのなく頃に」で大きく変わりました。この作品はゲームですが、美少女ゲームではないのです。「メモリーズオフ」などのゲームよりどこか一般的、だけど、ライトノベルのようでライトノベルでもない。

「ひぐらしのなく頃に」は美少女ゲームとライトノベルの脈をつなげた作品に私は見えます。クリックして文字を流すところは「君が望む永遠」と同じ。だけど、全年齢対象でサスペンスを軸にしている。純文学ではもちろんない。だからライトノベルに近い。だけどライトノベルという感じでもない。

ライトノベルは簡単な文章ときれいな挿絵が特徴的です。「ひぐらしのなく頃に」は本ではなく、挿絵としての絵はいつも表示されています。

「ひぐらしのなく頃に」以前も一般向けビジュアルノベルはありました。しかしそれは「シスター・プリンセス」のようなものが主流でした。だから「ひぐらしのなく頃に」は脱美少女ゲームを試みつつ、ゲームとライトノベルを融合させる試みに見えます。

一方、タイムトラベルの軸をつくった「この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO」は多くの作品に影響を与えました。そのタイムトラベル脈に「シュタインズ・ゲート」があります。この作品は「Serial Experiments Lain」などのディストピア脈にありますが、ニトロプラス作品で美少女ゲーム脈にも属します。

ニトロプラスという会社はとても重要です。私、この会社がなかったら日本の文化は大変なことになると思っています。「Phantom」「沙耶の唄」でもともと有名なニトロプラスは「シュタインズ・ゲート」で日本社会に知られました。この「シュタインズ・ゲート」は外国でも相当の知名度があります。

昔の美少女ゲームはメジャーになるのが大変だったと思います。商業的に成功するには「Fate」の TYPE-MOON のようにアニメ、コンシューマーゲーム、マンガと展開するしかない。「Fate」シリーズと「シュタインズ・ゲート」はビジネスという観点からも、「美少女ゲームあるいはギャルゲー的な領域から一般市場に展開することは可能だ」と他のクリエイターに伝えた功績があります。

小説家になろう

ライトノベルの「ソードアートオンライン」は異世界ブームのさきがけであり、今の大ブームをつくりあげた功績があります。この作品と典型的な異世界作品は異なりますが、ライトノベル脈に確固たる「異世界脈」を作りました。

この異世界というジャンルは小説家になろうによって生産されています。小説家になろうはサブカルチャーを分析するうえで重要ですが、ものすごく長くなるのでまた別の記事にします。

という整理を経て、ゲーム的リアリズムの誕生を読もうと思う

この記事は「ゲーム的リアリズムの誕生」という本を読む前のメモとして書かれましたが、なんか書いているうちに面白くなって、ついこんなに長くなりました。

区分と分析は私の主観と偏見にもとづいています。今回は一般ゲームを外して考えましたが、「ファイナルファンタジー」「ドラゴンクエスト」「ヴァルキリープロファイル」「ポケットモンスター」そしてセガの「三国志大戦」は明らかにサブカルチャーを形成しています。この巨大なゲーム脈はまた今度にします。

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