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坂本真一郎
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株式会社 LIG のきれいなウェブサイトを見て思ったこと

株式会社 LIG は私がずっと住んでいた台東区の近くにあって、何年も前に連絡した記憶がある。3 年ぶりに見たらウェブサイトのデザインが変わっていてびっくり。LIG のデザイナーは優秀で、正当に評価されるべきだと思います。

私は自信家で「私より優秀なプログラマーとデザイナーは日本に 5 人くらい」とつねづね思っているので、今回はそのうぬぼれた視点から LIG のウェブサイトに思うことを残します。

日本語の醜さが最小限

日本語のデザインは汚い。と言ったら「お前はなにもわかっていない」と焼き肉の看板や湯のみを作っている人に言われるかもしれない。しかし汚いものは汚い。

場所によってデザインの美しさが変わる…という哲学に私は完全に賛同しない。日本語はシンプルに汚い。そこで、デザイナーはこの不細工なデザインを抹殺しないと頭痛がおさまらない。

LIG はヘッダーとフッターをふくむあらゆるパーツから無駄な日本語を追放して、美しいアルファベットと抽象的な図形におきかえた。こうして日本は東京オリンピックで培われた絶望的な感性から一歩遠ざかった。

フォントを大きくして、勉三にも見えるようにした

金を扱う保険会社や証券会社のウェブサイトはだいたいフォントが小さい。大きく表示するべきものは大胆に見せる、というデザインの基本を理解できない腐りきった感性はどこからやってきたのか?

LIG は記事のフォントサイズをおそらく、私の目に狂いがなければ、 1px 大きくした。日本語の汚いデザインを封じこめながらフォントを大きくするコツは

  • カタカナを多用する
  • 文字数を減らす
  • 背面を黒にする

こと。LIG は汚いひらがなをたくみに大きくして、キテレツに出てくる勉三も見えるようにした。大きいフォントの配置はとても難しく、愚かな初級デザイナーが適当にやるとこの世の終わりがくる。

角丸 4px

「長方形の角をどのくらい丸くするか?」というウェブデザインの普遍的な問いかけに、この会社はたまたま私と同じ哲学を適用したみたい。

私は通常の長方形を 4-8px で丸める。それ以上角を丸くするとたいてい悲惨なことになる。角が 16px も丸まっている長方形が水色だったらどうなるか? もうおしまい。果てしない終わりを見ることになる。

私だったらハートと数字を完全に中央に並べる

私と LIG の感性は半分くらい合わない。例えば私は

  • サムネイルをアイテムの垂直方向中央に置いて
  • アバターはツイッターくらい大きくして
  • 時間を 2022.07.23 のように書かない

2022.07.23 という時間表現を見ると、私は虫酸が走ってモニターを破壊したくなる。私だったら

7.23 2022

などと書く。2022.07.23 は日本国東京都台東区うんたら…という住所に似ている。住所に日本国をつける日本国内人はいない。一気通貫の文字列は合理的だけど、実にむかつく。

記事を中央にそろえるデザインを最先端と思ったことをこの会社はたぶん後悔する

私は 2017 年くらいから記事を中央にそろえてうぬぼれていた。しかしその感性はうんこだと気づいて、今あなたが目にしているようになった。

第一に、日本人は記事をほとんど読まない。ほとんどの人は記事を読むよりデザインをななめに見ることを優先する。そういう人にとって中央そろえのデザインは寂しい。寂しさは離脱率の上昇につながる。

第二に、他のパーツを密に配置できない。大きなパーツを中央に置くと左右の余白が狭くなって、どうでもいい残りかすしか左右に配置できない。なぜ YouTube が左にサイドバーを置いているか、LIG のデザイナーはもう一度考えてほしい。

第三に、左右の余白に置かれるどうでもいいパーツが奇妙だから。目をこすって縦に並んだシェアボタンを見ると、見れば見るほど不思議な感じがする。たとえるなら、寿司屋で出てくる皿のはしっこにわさびがべったりついている感じ。

なぜこんな悲劇が起きるか? それは二番目で言ったとおり、大きなパーツを中央に置いてしまうから。

最後に、文章と画像が一直線に並んでいる様子はよくないから。中央そろえにすると主要のパーツが画一的に並ぶ。そこで、中央そろえの記事はセクションの幅を変えてメリハリをつける必要がある。LIG はしていない。

碁盤の目が美しいのは、京都の建物が画一的でないから。マンハッタンがマンハッタンなのは、巨大なビルと小さいビルがあるから。すべてのデザイナーは下にある主張を完全に理解するべきです。

画一的なものを画一的に並べると、奇妙な抽象芸術が生まれる。LIG がこれにあたる。

ランダムなものを画一的に並べると、数学的な美が生まれる。New York Times がこれにあたる。

画一的なものをランダムに並べるのは、クソバカとクソガキだけ。

ランダムなものをランダムに並べるのは、ピカソと私だけ。

LIG のデザイナーは今すぐ New York Times を見てください。記事の画像が文章のサイズより一回り大きく表示されています。画像と文章の幅を変えてメリハリをつけている New York Times は東海岸にあるくせに、西海岸の平均的な連中より優秀です。

Irohabook も画像やソースコードは文字のセクションより幅が大きく、アバターや時間が記事と異なるインデントをもっています。この記事に欠けているデザインは画像で、画像がないゆえにずいぶん気持ち悪い見た目になっています。

なぜ Irohabook は画像をたくさん並べないか? それは私にやる気がないから。

日本のうぬぼれたデザイナーは LIG のデザインを参考にするべき

腐りきった感性はなおらない。しかし腐った感性も 3 個集まったら奇跡が起きるかも。でもそのためには師匠が必要です。師匠がいないのに集まっても、真珠を理解できない豚はただのブタ。

金をもらってデザインをつくる人はプロフェッショナルであるべきで、プロフェッショナルになるには LIG とこの Irohabook を解析することが日本ではてっとり早い。

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