Irohabook
連載 メディアと広告のニヒリズム

日本のテレビ局は合併するべき:つまらない番組とドラマの大量生産はすべての日本人を不幸にする

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日本のテレビ局はつまらない番組を大量生産して、制作者と視聴者の全員を不幸にしている。芸人の政治的な発言も、女子高生を対象にしたドラマも、高齢者をターゲットにしたサスペンスもそれ自体は問題ないのに、量がすべてを台なしにしている。

文化は量と質が交換可能で、大量は悪質で少量は良質である。私は骨折の入院中に「失われた時を求めて」という本を読んだが、好きだから読んだわけでない。その時にその本しかなかったから読んだにすぎない。あの分厚い本は結局なにが言いたかったのか? フランスのカップケーキはおいしいという常識だろうか? 今もよくわからない。

テレビ局は不毛なゼロサムゲームを続けて、テロップだらけの劣化コピーを生産している。結果、日本人に次の変化が起きた。

ティック・トックのロゴを真似たテロップや芸人たちの粗暴なふるまいは日本人を無思考にさせている。もともと考えない人は考えないことをためらうこともしなくなった。

私以外に敬語の不経済を主張している人がほとんどいないのはどうしてだろう。ねじ曲がった上下関係と卑屈な社会性を批判しない人は、経済的な理由で人を意図的にコントロールしているか、そもそも経済に関心がない。俳優が自分の謙虚さをアピールするために「させていただきます」と言うたびに、日本の不経済は活性化される。

テレビ局は数学が低視聴率につながることを知っているため、かつての平成教育委員会は決して作らない。数学や科学よりも漢字や雑学を優先する番組は、日本の科学力を奈落の底に落としている。官僚は医学研究の予算をカットし、不毛な社会研究に金を使うが、科学が経済をコントロールするという事実がメディアを通じて拡散されていたらどうなっていただろう?

テレビ局は嫉妬と憎悪を煽るような番組を用意する。こうした不幸メディアは不幸な時代に大量発生してきたが、今のテレビ局はなにも学んでいないようだ。嫉妬や怠惰の肯定は人の関心を引き、広告を通じて当分の現金を生む。この古典的な経営が続くかぎり、社会の質は永遠に良くならない。

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