エッセイ ビジネス

「努力できる才能」はない:怠け者は他人と環境に責任をなすりつけて失敗する

あるブログの『「努力できるのも才能」は次元が低い努力できない人の言葉。』という記事とそのコメント欄を見て、私はつくづく悲しくなりました。「努力は当たり前、天才は努力を努力と思わない」という結論の記事に、「そうじゃない!」と訴えるコメントがたくさんついて炎上しています。

努力と才能は日本人にとってナイーブなテーマのようですが、私も記事の書き手とほとんど同じ価値観をもっています。結論は同じで、努力はスキルといわない。

私も似た記事を書いて批判された

貧しい社会だからか、努力や自己責任を強調すると批判される風潮ができています。実は私も似た記事を数年前に書いて、ツイッターで「○ね」と言われました。「生まれた環境が悪いと、努力しても意味がない。努力を誇張するやつは環境がよかっただけ」という捨てゼリフと一緒に。

開成高校と東京大学を出て、それなりに金を稼いで自由な身分になった私は、確かに努力しましたが、それは豊かな環境があったからでしょうか?

食事はいつも卵か納豆、おもちゃは一つもなく、ボロアパートに四人がぎゅうぎゅうにつめて住む生活はいい環境でしょうか? 遊ぶこと以外にやることのない愚かな子ども、いつも怠けてゲームする子ども、人を殴り物を盗む子どもに囲まれる環境は私を怠け者にするに十分でした。

私は幼少期に何年間も家庭内暴力を受け、ストレスで円形脱毛症になったり、体中が青いアザだらけになったりしました。小学校で暴力を受け、家庭でも暴力を受け、塾でも暴言を浴びるという悲惨な人生を送りました。正直な話、開成中学校と開成高校もいい思い出はほとんどなく、東京大学に入学するまで私は幸せな日を送ったことはない。私は幼少期からずっと身近に暴力があったので、私の半生は精神病との戦いでした。

努力と成功は豊かな環境にあると思わないでください。私に○ねと言った人にまずはそう言いたいですね。

そもそも夢を叶える努力は努力じゃない

『「努力できるのも才能」は次元が低い努力できない人の言葉。』という記事に変なコメントをしている人は根本的に努力を勘違いしている。

いいですか?

努力は生きるためにするのです。記事はイチローの名言を引用しているけど、それもちょっとナンセンス。スポーツ選手になりたいから努力する? 頭がよくなりたいから努力する? 実に話にならない。

本当、浅はかでバカバカしい。

努力とは夢や希望を叶えるためにするものじゃない。努力は死なないためのあがきにすぎない。努力は生死をわける習慣、たとえるなら呼吸のようなもの。そして才能は生死と関係ない、高次元の理性的習慣です。

努力は本能、才能は理性に根ざしている。

だから「努力できる才能」はない。本能と理性は根っこが違うから、努力と才能も根本的に違う。

「努力できる才能」という言葉は、おもちゃに囲まれて不自由のない生活をした人、つまりベルサイユ宮殿で生きていたフランスの王族の戯言です。

「悪い環境にいたら努力しても意味がない」は地獄を知らない怠け者の言葉

「悪い環境にいたら、努力をしない」と言いたいコメントが先述の記事にたくさんありましたが、それは悪い環境を知らない人の言葉です。

記事に反感をもった人は

生まれも育ちも現在もすばらしい環境だが、最近ちょっと報われないことがあって、努力の肯定論にストレスを感じた…

という人です。あるいは

団地のそばで不良の仲間と遊び、高校を中退してグレる人は、環境が悪いから努力したことがない。そういう人にとって努力は才能である

と言いたい人です。

中学校や高校を中退して不良になる人は環境が悪い…と、ほとんどの人は思うでしょう。しかしそれは違う。彼ら彼女らはとても贅沢なのです。先進国が生んだ豊かさが彼ら彼女らを無責任な怠け者にしただけ。

努力できる才能とほざく人は本当に恐ろしい環境を知らないから怠け者になる。毎日が生きるか死ぬかの人生を送ってください。生きるためにいろいろやると思いますよ。

怠け者は贅沢な身分をごまかして、失敗を他人と環境のせいにする

任天堂のゲームで遊び放題の人生を送りながら「リーマンショックのせいで人生が狂った」と怒っている人や、大学生になって遊びほうけてどん底に落ちた人を知っていますが、こういう人はたいてい責任をとらない。

彼ら彼女らが失敗したのは、遊んだからです。これを読んで「ずっと一生懸命やっているが報われない!努力しても成功しないときはあるんだ!お前はなにもわかってない!統計的にうんたらかんたら…」と憤る人もいるはず。でも、私は確信をもって断言します。

すべての失敗は努力をしなかったことが原因です。失敗したら、それはあなたがすべて悪いのです。成績が悪いのは先生のせいでも学校のせいでもない。給料が悪いのは上司のせいでも会社のせいでもない。あなたの行動があなたの失敗をつくっただけ。

「偏差値が低い高校に入ったせいで最悪な授業を受けるはめになった…」という悩みはよくありますが、それはその人が中学生のときに遊んだ報いです。「ブラック企業に入ったせいで仕事がきつくて年収が低い…」というサラリーマンは、就職する前にきちんと調べなかったか、あるいは転職しないことの報いです。すべての結果には必ず自らの行動が影響している。それを無視して巧妙に自分以外のなにかのせいにするなんて、無責任と思いませんか?

努力しても成功するとはかぎらない。でも、努力しないと成功はない。必要条件と十分条件ってやつ。結局、努力と成功が必要十分条件でないことが絶望の種ですね。

さっき言ったように努力は死なないための習慣です。努力が報われないと嘆くのは「努力は当たり前ではない」と考えているからで、そういう人は結局のところ心身ともに正常で本当の地獄を知らない人です。そのうえで失敗を他人と環境のせいにするのはおかしいと思いませんか?

なぜ他人と環境が、地獄と無縁の生活を送っている贅沢なあなたの失敗をとりのぞく必要があるのでしょう?

報われないと怒る人は子どものときから遊んできた人です。なに不自由なく生きて、好きなときに好きなことをやってきて、これまで責任をとってこなかった人です。自分の失敗はすべて自分の責任にあると知らないから自己責任論に憤る。結局、ずっと楽をしてきた怠け者ということ。

前も言ったけど、日本人はほとんどが怠け者。実際、電車で英字新聞を読んでいるサラリーマンはほとんどいない。スーツを着ている会社員はたいていスマートフォンでゲームをしているかYouTubeを見ている。私は会社員だったとき、どんなに忙しくても、上司にボロクソ言われてストレスが爆発しそうなときも、英語とプログラミングの本を電車で読んでいましたよ。

学生も社会人もほとんどが怠け者なので、この国で成功するのはとても簡単。わずかな努力であっという間に勝つことができる。小学校のテストもそう、センター試験もそう、英語のスキルもそう、投資もそう。ほんのちょっと勉強するだけで不動産投資の収益期待値はマイナスとわかるのに、金融の勉強は嫌いだから、ろくでなしの言うことを聞いてマンションに投資をする。

仕事で忙しいというサラリーマンも私からするとまったく忙しくない。朝早くから夜遅くまで働くのがきつい? 睡眠時間が5時間で大変? 私は小学生のとき、朝6時前に起きて夜は1時に寝るという生活をやってましたよ。理不尽なことで殴られ怒鳴られながら。上司がすぐ怒ってきつい? それも私からしたら「で?」という話です。あなたの上司はあなたを殴る? 殴らないでしょ。私はボコボコにされながら、朝早くから深夜まで勉強してましたよ。社会人になっても、私は正月、ゴールデンウィーク、お盆、年末も関係なくPythonと機械学習の勉強をしましたよ。

私は知りあいや同僚をある意味でうらやましく思っていた。なんてたって土日にきちんと休むのだから! 土日を使ってディズニーランドに行ったり温泉旅館に行ったりするのだから。私にとって休日はきちんと勉強できる唯一の時間だったから、休日に遊ぶという発想が信じられなかった。

………

根性が足りないという話をするつもりはない。大多数の日本人は根性という言葉を出すほどのレベルに達していない。

いっぱい食べて、いっぱい酒を飲みたい!

怒られるの嫌!

同僚や上司や後輩の悪口は言いたい!

成功した芸能人はぶっちゃけ嫌い!

という人がほとんどだと思うけど、そういう人は根性うんぬんの前にすっかり堕落しているので、ほんのちょっとした苦労でも「ああちくしょう!なんでこんな大変なことをしなきゃいけないんだ!クソッ!(舌打ち)」と被害妄想に浸る。

努力しても報われない、努力しても給料が上がらない、努力しても成績が上がらない…という愚痴は全部、甘えです。生きるか死ぬかという生活をしてこなかった人の怠惰な言い訳にすぎない。

大人だったら睡眠時間を削って仕事をしてください。給料が少ないと愚痴る前に、仕事が終わったあとコンビニでアルバイトをしてください。成績が上がらないと愚痴る前に、満員電車の中でもトイレや風呂の中でも勉強してください。生きるか死ぬかってそういうことなんだよ。