エッセイ ファクトチェック

オリラジ中田敦彦さんのYouTube動画とたかまつななさんのエッセイに思うこと:ウェブのコンテンツは建設的なコミュニケーションと合意のもとにある

オリラジ中田敦彦さんの YouTube 動画が、事実と異なる歴史の説明をしたとして批判を受けています。教育メディアを運営している私もファクト・チェックはかなり注意しているため他人事ではありません。

中田敦彦さんは第二次世界大戦や中東地域の歴史で誤った歴史を伝えてしまったと言われていますが、このメディアも二つの世界大戦と世界恐慌イスラム教の基本的な解説で第二次世界大戦とイスラム教を解説しています。これらの記事は厳格なチェックを経ていますが、誤りがないと断言できる資格を私はもっていません。

今回は中田敦彦さんの YouTube 動画、そして彼への批判について考えます。

歴史と宗教はなるべく扱わない

このメディアは歴史と宗教をなるべく避けています。第一次世界大戦、第二次世界大戦、政治的な関係、宗教はタブーが混ざっているだけでなく、事実と解釈の境界が不分明です。特に第二次世界大戦下のドイツはリスクがあまりに高いので、Irohabook は関係者の名前をすべて非公開にしています。

特に中東地域はイギリスの三枚舌外交も合わせて複雑な経緯をもっています。正確に理解するには大変な時間がかかるでしょう。そして誤った事実を伝えると、今回のオリラジ中田さんのように批判されてしまう。

教育系のコンテンツはシビアに評価されます。私も高校化学の水素結合に関する記事で「最新の研究結果と違う」とメールで指摘されましたが、歴史は化学よりも厳しくチェックされるでしょう。

オリラジ中田敦彦さんへの批判について

ファクト・チェックをずさんにして、誤ったコンテンツを配信することはもちろんよくない。不適切な情報が広まると、インターネットの信頼性は長期的に損なわれる。やがて不自由な規制が入り、今のような自由な発信ができなくなるかもしれない。

私たちはインターネット世界の市民で、自由に発言・行動する権利があります。しかし自由と責任は表裏一体のものです。一定のファクト・チェックも責任に含まれます。

それをふまえて、中田敦彦さんに同情的な発言をします。

実はファクト・チェックはメディアに大きな負担がかかり、場合によって採算が合わなくなります。厳格なファクト・チェックはインターネットを土台にするメディアから収益を奪います。

中田敦彦さんも一人の人間で、常に完璧な知識を披露することは難しいでしょう。テレビも大手メディアも後日に「先日の報道で一部不適切な情報がありました」などと伝えることがありますね。巨大会社でさえミスをおかす。まして個人に完璧さを求めることは少し現実的ではない。

ごちゃごちゃ言いましたが、結局はこういうことです。

結局バランスの問題になります。メディアは当然ファクト・チェックをしないといけないが、それを見る私たちのほうも「たぶんミスがどこかにある」と覚悟しないといけない。

真実を知りたい人は本を読まないといけない

下の動画で「ウェブの記事より本を読もう」と解説しました。

真実が知りたい人は本を読んでください。本は厳密なファクト・チェックと編集を経て出版されています。

ウェブの記事や動画は、当サイトを見ればわかるように、新着記事やおすすめ記事といった周辺のコンテンツが散らばっているため、つい余計な情報を見てしまいます。ウェブはそのようにできているのです。

嘘やごまかしのないコンテンツだけを見たい人は、ウェブよりも本を選ぶべきです。そしてメディアを運営する私自身も、重要な情報は本から学んでいます。

たかまつななさんの記事が本質的なことを言っていた

話が少しずれますが、中田敦彦さんのファンもまた、動画を批判する専門家の意見を一方的に批判してはいけない。この点について、たかまつななさんが中田敦彦さんの YouTube 動画について建設的な意見を述べていました。

中田さんのファンの方も専門家の方の意見にもう少し耳を傾けてもいいと思う。間違いかもと指摘された場合は、その専門家をたたくのではなく、ありがたいと思い、建設的に質問したりすればいいだけじゃないか。
YouTubeのファクトチェックはどこまで必要なのか。今の時代だからこそ求められるメディアの役割。(たかまつなな)より引用

ウェブのコンテンツはつまるところコミュニケーションと合意のもとに発展するしかないのです。中田敦彦さんの動画を擁護する側も批判する側も、コメントなどを通して、建設的な合意を形成してコンテンツを補足しないといけない。

Wikipedia は無限に更新されていますが、それは不特定多数のユーザーが合意を形成する過程といえます。インターネットのコンテンツは根本的に「コミュニケーション」です。

コンテンツのファクト・チェックは必要ですが、同時に建設的な合意も必要です。その意識は制作側と視聴側の双方が認識するものです。

たかまつななさんの記事は他にもだいぶ本質的なことを言及しています。ファクト・チェックはコストが高く、ビジネスとして難しい。しかしエンターテイナーとして一定の信頼性をもたないといけない。こうしたジレンマを告白したいのは彼女だけではないでしょう。

実は、ファクト・チェック(と報道)こそが新旧メディアの対立です。古いメディアは厳格な水準を維持しないといけないため、無料コンテンツがあふれる世界で窮地に立たされる。そしてファクト・チェックのないプラットフォームがのさばる。ちょうど今月(2020 年 1 月)ウォーレン・バフェットが新聞社を売却したように、編集という高いコストを抱えた古いメディアは残ることすら厳しい。

ファクト・チェックは編集の一部ですが、この「編集」の有無がメディアの勢力図を変えています。無料のコンテンツがあふれた今、私たちは編集でなくコミュニケーション合意に対価を払う必要があります。それがプラットフォーム世界が求める視聴のあり方です。