カントの純粋理性批判と道徳法則(ドイツ観念論)

イマヌエル・カントは経験論と合理論の流れをくむドイツの哲学者。「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」の批判書によってドイツ観念論を展開した。また「永久平和のために」などで普遍的な道徳法則を立てた。

「純粋理性批判」の認識論

カントは認識の過程を分析し、「純粋理性批判」にまとめあげた。事物を認識するとき、人は以前の経験に照らして判断する。車という知識がなく、それまで車という乗り物を見たことがない人は、初めて車を見たときにそれを車と認識できるだろうか? 車の例からわかるように、認識は経験をともなっている。この意味でカントはイギリス経験論を踏襲している。

しかし経験がその人に与えるものは、形や色、匂いや音といった多様な感性の集まりでしかない。スマートフォンはアルミとガラスで作られた薄い長方体であり、白色で匂いはない。この感覚的な情報からスマートフォンという認識が作られるためには、情報をまとめたり一般化したりする能力(カントはこれを悟性と呼ぶ)が必要であり、それは先天的に備わっている。この考えは合理論的である。

蓄積されていく経験と先天的な能力である悟性によって正しい認識が行われる。カントはこのように考えて経験論と合理論を統合した。

経験は認識の材料だが、認識の作用そのものは感性と悟性によって行われる。

感性 … 五感などが感覚として把握
悟性 … 感性を高度に秩序化する

なおカントは「悟性」と「理性」と明確に区別する。悟性は感性から得られる情報を秩序化する能力だが、理性は対象から直接的に得られる情報以上の知識を得ようとする高度な推察力である。

コペルニクス的転回

カントの認識論では、対象は認識に従うとされる。カント以前の哲学は、対象が認識を決めると考えていた。

以前  … 認識は対象に従う
カント … 対象は認識に従う

車は車、私は私という主客二分の立場では、車が白から黒になれば、車の認識もそのように変わる。しかしカントは順番が逆であると説く。つまり白から黒と認識が変わると、対象は白から黒に変わるのだ。

この発想の転換をコペルニクス的転回という。認識が対象を決定するというカントの考えは、イドラという概念を提唱したベーコンなどと根本的に異なる。イドラは、対象が絶対的に正しく、認識の歪みが真理をねじ曲げるという前提がある。しかしカントは合理論を基礎にした悟性という能力を根拠に、知識は私たちのほうにあると説く。

道徳法則と定言命法

人を傷つけてはいけないという道徳はどこからくるのか? 傷つけると警察に捕まり、自分の名誉の傷つくからだろうか?

カントの道徳法則によれば「傷つけたら、自分の立場が危うくなるから」という考えは道徳的ではない。道徳的な答えは「人を傷つけてはいけないから」である。

なぜ傷つけたらいけないか?

◯ 傷つけたらいけないから
× もし傷つけたら、自分の立場が悪くなるから

「傷つけたら」といった仮定のある文を仮言命法、仮定のない文を定言命法というが、カントは仮言命法ではなく定言命法を道徳とする。定言命法は「~しなさい」「~しないといけない」という端的な命令であり、その命令に仮定や前提はない。

罰を受けたくないから、褒められたいから、という動機から起きるすべての行動は、道徳ではない。

目的の国

カントの道徳法則を備えた主体を人格という。人格は他人を手段として用いない。つまり自分の利益のために他人を利用することはなく、他人を目的として扱う。

万人が他人を目的として扱い、尊重するような状態をカントは理想と考え、これを「目的の国」と呼んだ。

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