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離散的時間仮説と光速度不変の法則をあらためて考えた:光子の半径を光速度で割った値の意味

前置き:この記事は私のメモにすぎず、学問的な裏づけはまったくありません。SF設定として誰かの役に立つことはあるかもしれない。

私は高校生のときから「時間は離散的である」という不思議な確信をもっています。社会人になり、プログラマーになった今もそれは変わらず、確信の強さはより増している。

ここで私の「物理観」わかりやすく説明します。

  • すべての物体は n 秒間隔で運動
  • n はいかなる系でも一定

連続的に動いている物体も実は不連続に動いているが、その時間間隔(振動数の逆比)があまりに小さいために、観測者は「時間は実数のように連続である」と錯覚する、というのが私の仮説です。

離散的時間仮説と状態推移仮説

数年前に宇宙は文の組みあわせ:時間は離散的で、物理的な運動は論理の評価にすぎないかもという記事を書きました。ここで書いたように、私は「運動の究極は論理演算である」という仮説も信じています。

物理でなく数学を専攻した人間の考えそうなことです。私は数学科出身で、得意分野は位相幾何学と代数幾何学です。

素粒子物理学をきちんと勉強したわけでない私の説得力はゼロですが、究極的な引力(これ以上分解できない物質どうしに働く引力)は単純な三段論法だと私は思っている…。つまり

AB
BC

から

AC

をつくる作用。難しい言葉で言うと集合論の推移律。この推移律に「物事の発展」を感じるのは私だけでしょうか。

AB や BC は状態です。二つの状態から別の状態 AC が生まれることを「運動」といいます。そしてこの推移の必要な時間がさっき仮定した n です。

推移は離散的で、連続的ではありません。そのため離散的時間仮説はこの「状態推移仮説」と親和性があります。

A と AB の違い

物質は二面性をもっています。一つは物質そのもの。もう一つは変化する物質としての物質。つまり状態としての物質(観測される物質と言ってもいい)です。

物質そのもの A は系と関係なく、したがって観測できません。A を観測すると AB になります。

A
物質そのもの。観測不可能。

AB
A を観測したときに得られるもの。私たちが物質と呼ぶもの。

ここで「物質」と「状態」を区別する必要性が出てきます。A が物質、AB が状態です。物質は観測できず、状態が観測されます。

まとめると、状態の推移が運動であり、推移に必要な最低時間が n です。

可視空間

状態の一つに座標があります。座標空間がなければ座標は存在できないため、状態を観察した瞬間、対象物質のまわりに三次元空間が生まれます。

★空間があるから物質がある…わけでない。物質があるから空間がある…というのがミソ。

私の思想の根幹をなすのでくりかえしますが、空間は物質から生まれます。というよりは、物質の観測から生まれます。

ようやくこの記事の結論に届きそうです。この空間は「物質が動きうる範囲」です。わかりやすく言うと、この物質が n 秒後に存在しうる範囲です。

私はこれを「物質の可視空間」と適当に呼んでいます。この可視空間は三次元の球で、その半径は観測者が観測できる最小の長さです。

物質が n 秒後に可視空間の球面に到達するとき、その物質は光となっています。光とは「観測者の観測」です。

光速度は観測者の限界観測速度で、可視空間の半径 L を n 秒で割った値。ここからは私も「う〜ん…あやしい」と考える話になりますが、この可視空間は光子だと今のところ考えています。

もしこれらの話がすべて正しいなら、光子の半径を光速度で割った値が離散的時間仮説における最小時間間隔 n になります。

結論:
光子の半径を光速度で割った値 n より短い時間は存在できず、すべての物質は n の整数倍間隔で離散的に運動している。

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