飛鳥時代の解説と問題(聖徳太子、中大兄皇子、天武天皇)
飛鳥時代は聖徳太子、中大兄皇子、天武天皇、藤原不比等の三人が活躍した時代。
飛鳥時代はこの三人がいた三つの時代に分けられる。
・聖徳太子がいた時代
・中大兄皇子がいた時代
・天武天皇がいた時代
人 | 業績 |
---|---|
聖徳太子 | 仏教を取り入れた 憲法十七条 冠位十二階 遣隋使 |
中大兄皇子 | 蘇我氏を滅ぼす 大化の改新 庚午年籍(こうごねんじゃく) |
天武天皇 | 壬申の乱 古事記・日本書紀 |
聖徳太子
聖徳太子は推古天皇の摂政として、蘇我馬子などの豪族と国を治めた。摂政とは、天皇の補佐として政治を行う役目のこと。
552年(諸説ある)、仏教が百済(現在の朝鮮)から伝わると、聖徳太子は蘇我馬子の協力のもと仏教を広めた。607年、法隆寺を建立する。
それまで日本は神道であり、物部守屋などは仏教の普及に反対した。しかし物部守屋が蘇我馬子に滅ぼされると、朝廷は仏教の受容に傾いた。
年 | 出来事 |
---|---|
552 | 仏教が百済から伝わる |
587 | 物部守屋が滅ぶ |
600 | 第一回遣隋使の派遣 |
603 | 冠位十二階の制定 |
604 | 十七条憲法の制定 |
607 | 法隆寺の建立、第二回遣隋使の派遣 |
聖徳太子は隋(現在の中国)に小野妹子などの使者を派遣した。小野妹子は隋の王(煬帝(ようだい))に
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
と記された国書を渡した。
日出づる処の天子 … 推古天皇
日没する処の天子 … 煬帝
冠位十二階は、家系ではなく個人の能力によって人材を登用するという制度。十七条憲法は「和を重んじよ」といった十七の教えからなる。冠位十二階と十七条憲法によって朝廷の支配が固まった。
中大兄皇子
聖徳太子の死後、蘇我蝦夷(馬子の子)と蘇我入鹿(蝦夷の子)が政治の実権を握るが、645年、中大兄皇子と中臣鎌足は蘇我氏を滅ぼす。
年 | 出来事 |
---|---|
645 | 中大兄皇子と中臣鎌足、蘇我蝦夷と蘇我入鹿を滅ぼす |
646 | 大化の改新 |
646年、中大兄皇子は改新の詔を発布し、新しい政治を始めた。これを大化の改新という。
その後、中大兄皇子は天智天皇になり、日本史上最初の戸籍である庚午年籍(こうごねんじゃく)を作った。
天武天皇
天智天皇の死後、大友皇子と大海人皇子の間で天皇の後継者争いが起きるが、672年の壬申の乱によって大海人皇子が勝利し、天武天皇になった。
天武天皇は古事記・日本書紀の編纂を行い、藤原京を造営した。藤原京は持統天皇の時に完成した。
年 | 出来事 |
---|---|
672 | 壬申の乱 |
673 | 大海人皇子、天武天皇になる |
大宝律令
701年、藤原不比等と刑部親王が大宝律令を完成させる。大宝律令によって、朝廷の行政、大臣などの役職、国・群・里などの地方組織が規定された。
問題
問1 冠位十二階の制度を定めた人物の名前を答えなさい。
問2 天智天皇の後、大友皇子と大海人皇子が皇位継承のために争った。この戦いは何と呼ばれているか。
問3 701年に( 1 )が中心となって( 2 )を完成させて、朝廷の行政などを定めた。
問4 聖徳太子のいた時代にさまざまな文化が花開いていくが、これは中国や朝鮮から日本にやってきた者たちの影響があった。当時の朝鮮半島にあった三つの国を答えなさい。
問5 蘇我馬子は有力豪族の( 1 )と( 2 )天皇を倒し、聖徳太子とともに政治を行ったとされる。
問6 遣隋使として日本から随に送られた人物は誰か。
問7 日本史上最初の戸籍を作った天皇は誰か。
問8 大化の改新は何年のことか。
解答
問1 聖徳太子
問2 壬申の乱
問3 藤原不比等、大宝律令
問4 高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)、百済(くだら)
当時、朝鮮半島には高句麗、新羅、百済と呼ばれる国がありました。高句麗は今の北朝鮮から中国北部、新羅は朝鮮半島南東部、新羅は朝鮮半島南西部に位置し、660年に百済が滅亡するまで朝鮮半島は三つに分かれていました。中国や朝鮮から日本にやってきた渡来人(とらいじん)が日本の文化に強く影響したと考えられています。
なお白村江の戦いが起きた時、百済はすでに滅亡しています(白村江の戦いは663年)。
問5 物部守屋、崇峻(天皇)
蘇我馬子と物部守屋は仏教を受け入れるか受け入れないかで激しく対立し、蘇我馬子が戦いに勝ったことで朝廷は仏教を受け入れることになりました。また崇峻天皇はもともと蘇我馬子の力で即位できた人物であり、当時蘇我馬子は絶大な権力を握っていたため、蘇我馬子と対立した崇峻天皇もまた蘇我馬子に殺害されてしまいます。
587年 蘇我馬子、物部守屋を滅ぼす
592年 蘇我馬子、崇峻天皇を暗殺
問6 小野妹子
問7 天智天皇
問8 646年
646年に『改新の詔』が出された後、朝廷はさまざまな政治的改革を進めていきます。これを大化の改新といいます。蘇我入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足によって滅ぼされる事件は乙巳の変(いっしのへん)であり、大化の改新に含まれません。
問題
問1 聖徳太子はもともと何と呼ばれていたか。
問2 645年に蘇我蝦夷と蘇我入鹿を滅ぼした二人の人物を答えなさい。
問3 聖徳太子は( 1 )天皇を補佐として( 2 )という立場についた。
問4 大宝律令によって大蔵省などの役所が作られたが、このうち九州北部の支配と管理を任された役所を何というか。
問5 聖徳太子が建造し、世界文化遺産に認定された寺を何というか。
問6 660年から670年頃にかけて朝鮮半島ではある国が他の国を滅ぼして統一したとされている。この統一した国の名前を書きなさい。
解答
問1 厩戸皇子(うまやどのおうじ)
問2 中大兄皇子、中臣鎌足
問3 推古天皇、摂政
問4 太宰府
問5 法隆寺
問6 新羅
問題
問1 聖徳太子は十七条憲法において「三宝を敬へ。三宝とは( 1 )・( 2 )・( 3 )なり」と述べている。
問2 日本が百済を復興するために唐と新羅と起こした戦争を何というか。
問3 法隆寺金堂釈迦三尊像の作者を答えなさい。
問4 小野妹子が派遣された当時の随の皇帝は誰か。
問5 中大兄皇子は668年に( )天皇になった。
問6 聖徳太子がいた頃の文化を飛鳥文化というが、その次の7世紀から8世紀初頭までの文化は何と呼ばれているか。
問7 下の作品名を答えなさい。
解答
問1 仏、法、僧
聖徳太子は十七条憲法において仏教の重要性、そして仏、法、僧を敬うように述べています。『法』とは仏教の教えをいいます。なお『僧』という地位がきちんとできるのは奈良時代に鑑真が戒律を定めてからです。例えば聖武天皇や孝謙天皇が鑑真から戒を受けました(受戒)。受戒は、僧になるために必要な儀式のことです。
問2 白村江の戦い
問3 鞍作鳥(くらつくりのとり)
鞍作鳥は飛鳥時代を代表する芸術家で、聖徳太子の時にさまざまな作品を残しています。中でも釈迦三尊像と玉虫厨子(たまむしのずし)は有名です。
問4 煬帝
問5 天智(天皇)
問6 白鳳文化(はくほう)
白鳳文化は飛鳥文化の次の文化で奈良時代までかかっています。遣唐使を通して伝わってきた唐の文化の影響を受けており、代表的な作品に高松塚古墳壁画や薬師寺金堂薬師三尊像などがあります。
問7 高松塚古墳壁画
問題
問1 670年に作られた戸籍を答えなさい。
問2 日本が白村江の戦いを起こした目的を記述しなさい。
問3 白村江の戦いの後、日本は九州北部に( 1 )と呼ばれる兵を置いた。( 2 )には( 1 )のよんだ和歌がもりこまれている。
問4 大宝律令後、( )が地方のそれぞれの地域を治めることになった。
問5 中大兄皇子たちが蘇我氏を滅ぼした事件は何と呼ばれているか。
問6 聖徳太子が随の煬帝に送った国書に「日出処の天子…」という有名な言葉がある。これは中国のある文書に残されているが、この文書の名を答えなさい。
解答
問1 庚午年籍(こうごねんじゃく)
問2 百済を復興させるため。
問3 防人、万葉集
問4 国司
大宝律令は中央と地方の行政を分けており、地方行政は国司が担当することになりました。国司は現在の知事のようなものと考えるとわかりやすい。なお国司はそれぞれ軍事力を持っています。
問5 乙巳の変
645年に乙巳の変が起き、中大兄皇子と中臣鎌足に支えられた孝徳天皇が646年に大化の改新を行っていきます。ただし実際にどのような改革が行われたかはよくわかっていません。乙巳の変と大化の改新により朝廷に権力が集中し、中央集権国家への道が開かれました。
問6 隋書倭国伝
古代
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