縄文時代と弥生時代まとめ 土器と石器と遺跡から理解する

縄文時代と弥生時代は日本という国が生まれる前の時代です。縄文時代は今から1万5000年前から2300年前(紀元前1万3000年から紀元前300年)の時代、弥生時代は紀元前300年から紀元後300年ほどの時代です。

※紀元前300年といった年はあくまでも目安で、何年から何年までが縄文時代、弥生時代という区分はありません。そのため縄文時代と弥生時代は合わせて理解しましょう。 ※弥生時代中期から各地に小さい国ができましたが、今の日本のような国ではありませんでした。

土器と石器

縄文時代は縄文土器を、弥生時代は弥生土器を使っていました。土器は食べ物を入れて煮るための道具と考えられています。

①縄文土器は縄のような模様があり、色は黒っぽい(黒褐色)ものが多い ②弥生土器は縄模様がなく、色は赤っぽいものが多い

また縄文時代から磨製石器(ませいせっき)が使われるようになります。磨製石器は石を研いで作られた石器です。弥生時代になっても磨製石器は使われていました。

※石器とは、石で作られた皿や斧などをいいます。

しかし弥生時代になって石器ではない新しい道具が出てきます。それが青銅器(せいどうき)。青銅器は銅とスズから作られたもので、銅鐸(どうたく)などがあります。銅鐸は武器の一つです。青銅器は普段は使われず、武器や祭器として使われていたようです。

時代 土器 石器
縄文時代 縄文土器 磨製石器
弥生時代 弥生土器 磨製石器
青銅器

食生活

縄文時代の人々はクリやマメを食べていました。農耕技術は本格的に発達していなかったものの、マメなどは栽培していたと考えられています。

一方、弥生時代の人々は稲作技術を持ち、水田を作って米を食べていました。米作りは縄文時代末期からすでに行われていたという研究もありますが、稲作が本格的に始まったのは弥生時代からと考えられます。

遺跡

縄文時代の遺跡は東京都大田区の大森貝塚と青森県の三内丸山遺跡が有名です。

貝塚とは、当時の人々が捨てたものが集まっている場所のことで、食べ終わった貝の貝殻があることから貝塚と呼ばれています。ただのごみ捨て場なのか、それとも他に意味があるのか、よくわかっていません。青森県の三内丸山遺跡から、当時の人々が集まって共同生活をしていたことがわかります。

弥生時代の遺跡は佐賀県の吉野ヶ里遺跡が有名です。

時代 遺跡
縄文時代 大森貝塚
三内丸山遺跡
弥生時代 吉野ヶ里遺跡

弥生時代にできた文明

弥生時代中頃から全国に小さな『国』ができますが、その様子はいくつかの中国の歴史書から明らかにされています。その中国の歴史書とは、①漢書地理志(かんじょちりし)、②後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)、③魏志倭人伝(ぎしわじんでん)の三冊です。魏志倭人伝によると、弥生時代の終わり頃、日本は邪馬台国(やまたいこく)という大きな国となり、卑弥呼(ひみこ)という女王が邪馬台国を治めていたとあります。しかし邪馬台国については今もよくわかっていないことが多く、謎に包まれています。

その頃世界はどうなっていた?

日本各地に稲作が広まった弥生時代前期、中国では始皇帝が秦という中央集権国家を作り、万里の長城を建設しました。弥生時代中頃、ヨーロッパではイエスのキリスト教が生まれました。