縄文時代と弥生時代 – 土器と遺跡(中学歴史)

縄文時代と弥生時代は日本という国が生まれる前の時代です。弥生時代中期から各地に小さい国ができましたが、今の日本のような国ではありませんでした。

おおまかな時期

縄文時代は今から1万5000年前から2300年前(紀元前1万3000年から紀元前300年)の時代、弥生時代は紀元前300年から紀元後300年ほどの時代です。

時代 時期
縄文 紀元前1万3000年から紀元前300年
弥生 紀元前300年から紀元後300年

紀元前300年といった年はあくまでも目安で、何年から何年までが縄文時代、弥生時代という区分はありません。

土器

縄文時代は縄文土器を、弥生時代は弥生土器を使っていました。土器は食べ物を入れて煮るための道具と考えられています。

出典 : Middle Jomon Period rope pottery 5000-4000BC (Chris 73 - Wikimedia Commons)

縄文土器は縄のような模様があり、色は黒っぽい(黒褐色)ものが多い(上の写真)。

一方、弥生土器は縄模様がなく、色は赤っぽいものが多い。

石器

石器とは、石で作られた皿や斧などをいいます。

縄文時代から磨製石器(ませいせっき)という道具が使われるようになりました。

磨製石器は石を研いで作られた石器で、弥生時代になっても使われていたと考えられています。

しかし弥生時代になると、石器ではない新しい道具が出てきました。青銅器(せいどうき)です。

青銅器は銅とスズから作られたもので、銅鐸(どうたく)などの武器があります(上の写真)。青銅器は普段は使われず、武器や祭器として使われていました。

時代 土器 石器
縄文 縄文土器 磨製石器
弥生 弥生土器 磨製石器
青銅器

食生活

縄文時代の人々はクリやマメを食べていました。農耕技術は本格的に発達していなかったものの、マメなどは栽培していたと考えられています。

一方、弥生時代の人々は稲作技術を持ち、水田を作って米を食べていました。米作りは縄文時代末期からすでに行われていたという研究もありますが、稲作が本格的に始まったのは弥生時代からと考えられます。

住居

縄文時代から弥生時代にかけて、人々は竪穴住居(竪穴式住居)という家に住んでいました。竪穴式住居は

・地面を1メートルくらい掘り
・その穴に柱を立てて
・草などで屋根をかぶせて

できた家であり、竪穴の「たて」は、地面を掘ってできた穴という意味です。竪穴式住居は吉野ヶ里遺跡などで復元されています。

遺跡

縄文時代の遺跡は東京都大田区の大森貝塚と青森県の三内丸山遺跡(さんないまるやま・いせき)が有名です。

貝塚とは、当時の人々が捨てたものが集まっている場所のことで、食べ終わった貝の貝殻があることから貝塚と呼ばれています。ただのごみ捨て場なのか、それとも他に意味があるのか、よくわかっていません。

青森県の三内丸山遺跡から、当時の人々が集まって共同生活をしていたことがわかります。

弥生時代の遺跡は佐賀県の吉野ヶ里遺跡(よしのがり・いせき)が有名です。

時代 遺跡 場所
縄文 三内丸山遺跡 青森県
縄文 大森貝塚 東京都大田区
弥生 吉野ヶ里遺跡 佐賀県

弥生時代にできた文明

弥生時代中頃から全国に小さな『国』ができますが、その様子はいくつかの中国の歴史書から明らかにされています。

その中国の歴史書とは

①漢書地理志(かんじょちりし)
②後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)
③魏志倭人伝(ぎしわじんでん)

の三冊です。

上の写真は魏志倭人伝(出:パブリックドメイン)。

魏志倭人伝によると、弥生時代の終わり頃、日本は邪馬台国(やまたいこく)という大きな国となり、卑弥呼(ひみこ)という女王が邪馬台国を治めていたとあります。

しかし邪馬台国については今もよくわかっていないことが多く、謎につつまれています。

その頃世界はどうなっていた?

日本各地に稲作が広まった弥生時代前期、中国では始皇帝が秦という中央集権国家を作り、万里の長城を建設しました。弥生時代中頃、ヨーロッパではイエスのキリスト教が生まれました。

※出典明記のない画像はパブリックドメインです。

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