平安時代(仏教と摂関政治と院制から理解する)|日本史の解説

平安時代は、桓武(かんむ)天皇から嵯峨(さが)天皇までの天皇が権威を持っていた初期、藤原氏による摂関政治が続いた中期、そして後白河上皇による院制と平家の隆盛が続いた末期の三つに分けられます。

区分 主な出来事
初期 都が平安京に移る
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が征夷大将軍になる
最澄(さいちょう)と空海(くうかい)が活躍する
中期 菅原道真(すがわらのみちざね)が京を追放される
平将門と藤原純友の反乱が起きる
藤原氏が摂関政治を始める
末期 白河上皇が院制を始める
平家が力をつけて平清盛が太政大臣になる
地方の源氏が力をつけて平家を滅ぼす

平安時代初期

794年 平安京遷都

『遷都(せんと)』とは都を移すことをいいます。794年に都が平安京になってから源頼朝が鎌倉幕府を開くまでのおよそ400年を平安時代といい、この間に政治の中心が朝廷から武士に変わっていきました。平安という名前がつくように平和な時代が長く続き、ひらがなを含めたさまざまな文化が生まれました。

桓武天皇
桓武天皇

桓武天皇は平安京遷都だけでなくもう一つの功績を残しています。それは坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して東北地方(福島県より北)を支配したことです。桓武天皇の時から日本という国がようやく今の形に近づいてきたわけです。

ちなみに北海道がきちんとした形で日本の一部になったのは明治に入ってからです。

最澄 天台宗
空海 真言宗

平安時代初期、天皇は桓武天皇、平城天皇、嵯峨天皇と続き、この間仏教が発展しました。

その担い手になった人物が最澄と空海で、最澄は比叡山延暦寺に天台宗を、空海は高野山金剛峰寺に真言宗を開きました。

山、寺、宗派の名前はセットで覚えるといいですね。修学旅行で比叡山延暦寺、または高野山金剛峰寺に行ったら、その厳かな雰囲気をぜひ感じとってください。その厳かな雰囲気は寺そのものだけでなく、山全体に広がっているでしょう。

これが天台宗と真言宗の最大の特徴、山岳修行です。天台宗と真言宗はそれまでの仏教と異なり、身を清めるように山の奥地で修行します。そのため山自体が厳かに感じられるのです。

ちなみにここで名前の上がった嵯峨天皇と空海は三筆の二人。三筆とは、平安時代初期で筆が上手だった三人のことで、嵯峨天皇、空海、そして橘逸勢(たちばなのはやなり)をさします。

平安時代中期

平安時代中期は①朝廷内の出来事(摂関政治)と②地方での出来事(承平天慶の乱)の二つが重要です。

1016年 藤原道長、摂政になる

平安時代中期の901年、遣唐使廃止を行うなど政治に深く関わっていた菅原道真が藤原時平の策によって京を追放されると、藤原不比等(飛鳥時代を参照)の子孫である藤原家の権力が強まりました。

藤原家は天皇家と血縁関係を結ぶことで摂関政治を行い、藤原道長と藤原頼通の二代に華々しい時代をむかえます。

藤原道長
藤原道長

ポイント

939年 承平天慶の乱

承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱は平将門の乱と藤原純友の乱を合わせた呼び名です。平将門は下総(しもうさ、現在の千葉県北部)を本拠地として現在の関東地方一帯を支配したと言われています。一方、藤原純友は伊予(いよ、現在の愛媛県)を本拠地として反乱を起こし、九州の太宰府を攻め落としました。

平将門
平将門

平将門は地方の武士です。平将門の乱によって当時の武士がいよいよ力をつけてきたこと、逆に朝廷の地方の支配が崩れてきたことがわかります。結局、地方の武士にすぎなかった源頼朝が次の鎌倉幕府を開いてしまうわけですが、承平天慶の乱は権力の中心が朝廷から武士に移っていくターニングポイントだったと言えます。

平安時代末期

平安時代末期は、①白河天皇が院制を始め、②平家が活躍し、③源氏が平家を滅ぼした、という流れです。

1086年 白河天皇、院制を始める

白河天皇は子の堀河天皇に位を譲り、白川上皇という立場として政治を行いました。これを院制といいます。院制によって権力が藤原家から天皇家に戻り、以降藤原家は歴史の表舞台から遠ざかってしまいます。

院制は、白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇と続きます。特に後白河上皇は保元の乱と平治の乱に関係する重要人物です。

1156年 保元の乱
1159年 平治の乱

保元の乱と平治の乱は日本史のテストで最もよく問われる事件の一つで、年号も必ず覚えましょう。1156と1159です。

保元の乱は崇徳上皇と後白河天皇の戦いで、崇徳上皇側に源為義と平忠正、後白河天皇側に源義朝と平清盛がつきました。源義朝と平清盛が後白河天皇側についたことに注目。

保元の乱によって後白河天皇が勝利しますが、源義朝と平清盛はその後どうなっていったでしょうか?

平清盛は太政大臣までのぼりつめて華々しい時代を築きます。

一方、源義朝は実は鎌倉幕府を開く源頼朝の父で、保元の乱に続く平治の乱で滅ぼされてしまいます。

平治の乱はこの保元の乱で勝利した平清盛と源義朝の戦いで、平清盛が勝利し、源義朝は敗北し、源義朝の子の源頼朝は伊豆(現在の静岡県)に追放されてしまいました。平治の乱をきっかけに平清盛は太政大臣まで出世します。

しかし最後の最後、この敗北した源頼朝が結局は平家を滅ぼしてしまうわけです。

1180年 源頼朝が挙兵
1185年 平氏滅亡

1180年に源頼朝による内乱が起きます。これが源平合戦の始まりで、1185年の壇ノ浦の戦いまで続きました。なお平清盛は1181年に死に、源頼朝は1183年に東国支配を朝廷から認められています。1183年には鎌倉幕府の土台ができていました。

源平合戦は全国の源氏が平氏を滅ぼす戦いですが、そのきっかけは何だったのでしょうか?

1167年、保元の乱と平治の乱で勝利した平清盛は太政大臣になり、日本の政治を思うままに行います。保元の乱でついた後白河天皇はすでに後白河法皇になっていましたが、平清盛は後白河法皇の権力を奪い、1180年に自分の孫である安徳天皇を天皇にしました。こうした平清盛の勝手なやり方が源平合戦を生み、最後は平家滅亡を招いたのです。

平清盛
平清盛

壇ノ浦の戦いでは平清盛の孫である安徳天皇も滅びます。当時、安徳天皇はまだ小さな子どもでした。

安徳天皇
安徳天皇

例題1

問1 何年に都は平安京に移ったか。

問2 征夷大将軍に任命されて802年に胆沢城(いさわじょう)を築いた人物を答えなさい。

問3 最澄と空海はそれぞれ何という山の何という寺で仏教を開いたか。

問4 藤原時平の陰謀によって太宰府に流された人物は誰か。

問5 藤原冬嗣の子で、後の藤原北家の繁栄の礎を築いた人物は誰か?

問6 ( 1 )が古今和歌集を編纂し、( 2 )が枕草子を記した。

問7 藤原頼通が建立し、10円玉の裏に描かれている建物を答えなさい。

解答1

問1 794年

問2 坂上田村麻呂

問3 比叡山延暦寺、高野山金剛峰寺

問4 菅原道真

問5 藤原良房

藤原良房は藤原冬嗣の子で、伴氏や橘氏といった他の有力貴族を排除し、藤原一族の繁栄につなげていきました。良房の孫が清和天皇で、源氏一族の祖です。

問6 紀貫之、清少納言

平安初期の文化を国風文化といい、紀貫之、清少納言、そして紫式部が文学作品を残しました。それぞれ古今和歌集、枕草子、源氏物語です。

問7 平等院鳳凰堂

例題2

問1 子の堀河天皇に皇位を譲り、自らは院として政治を行った人物を答えなさい。

問2 下の文章の空欄をすべて埋めなさい。

( 1 )年に起きた保元の乱は( 2 )と後白河天皇による源氏と平氏を巻きこんでの戦いで、結果は後白河天皇の勝利に終わった。( 2 )は( 3 )に流されることになった。保元の乱で勝利した平清盛は( 4 )を滅ぼし、( 4 )の子である源頼朝を伊豆に追放した。この二つの戦いにより武力を持つ源氏または平氏の政治的権力が増し、平清盛はやがて太政大臣となり、孫を( 5 )天皇とした。

問3 平清盛は摂津(現在の大阪)の(  )を中心として日宋貿易を行った。

問4 奥州藤原氏が平泉に建立し、世界文化遺産に登録された建物の名を答えなさい。

問5 芥川龍之介の『羅生門』のもとになった話も含まれている、平安期に完成した説話集を何というか。

解答2

問1 白河天皇(白河上皇)
問2 1156年、崇徳上皇、讃岐、源義朝、安徳天皇

問3 大輪田泊(おおわだのとまり)

問4 中尊寺金色堂

問5 今昔物語集(こんじゃくものがたり)

例題3

問1 下総を拠点として国司と対立し反乱した人物名を答えなさい。

問2 貴族の住宅は(  )という形式で作られていた。

問3 源氏物語の作者を答えなさい。

問4 桓武天皇が新しく設けた官職とはなにか。

問5 『この世をば我が世とぞ思ふ(  )のかけたることもなしと思へば』と詠んだ人物は誰か。またカッコに当てはまる言葉を答えなさい。

問6 浄土教を広め、市聖と呼ばれた人物は誰か。

問7 源平合戦の最後、安徳天皇と平家が滅んだ戦いを何というか。

解答3

問1 平将門

問2 寝殿造(しんでんづくり)

問3 紫式部

問4 勘解由使(かげゆし)

勘解由使は国司が交代する際の引継ぎ業務などを監視しました。同じような官職に検非違使(けびいし)があります。検非違使は平安京の警察部隊です。どちらも漢字四文字で似ているので注意しましょう。

問5 藤原道長、望月

問6 空也

問7 壇ノ浦の戦い

基本問題

問1 延久の荘園整理令を出して各地の荘園を整理するなど成果を上げた天皇は誰か。

問2 奥州藤原氏の清衡の子と孫の名を答えなさい。

問3 平安期の朝廷内の様子を描いた歴史書を一つあげなさい。

問4 有力な寺院は僧を兵として扱い、たびたび朝廷に強訴(ごうそ)した。中でも南都と北嶺は有名であるが、それぞれ何寺をさしているか。

問5 1156年の保元の乱によって敗北した源氏と平氏を一人ずつ答えなさい。

問6 次のアからエのうち正しい文を一つ選びなさい。

ア 藤原良房の子、藤原基経は光孝天皇の関白となった。
イ 安和の変によって左遷された人物は源経基である。
ウ 田楽や猿楽といった文化が民衆と貴族の間で流行した。
エ 1185年に平氏が滅亡した後、後白河法皇は源頼朝に源義経を倒すように命じた。

問7 次にアからエまでに出来事を年代順に古いほうから並べなさい。

ア 頼朝、奥州を平定する。
イ 義経、義仲を討つ
ウ 安徳天皇即位
エ 頼朝、問注所を設置

解答

問1 後三条天皇

藤原氏の摂関政治は藤原頼通の代にピークをむかえましたが、頼通の娘に子どもが生まれなかったため藤原氏の勢力はここから衰えていきます。後三条天皇は藤原氏の影響をあまり受けることなく独自の政治を行い、延久(えんきゅう)の荘園整理令を出し、各地の荘園を厳しく整理して成果を上げました。

なお後三条天皇の子が白河天皇であり、白河天皇から院制が始まるため、後三条天皇と白河天皇の二人が藤原氏の摂関政治から院制への分岐点であるといえます。

問2 藤原基衡、藤原秀衡

問3 大鏡

問4 興福寺、延暦寺

興福寺を南都、延暦寺を北嶺といいます。どちらも多くの荘園を持って僧兵を組織し、その大きな権力によってしばしば朝廷に反抗しました。

問5 源為義、平忠正

問6 ウ

藤原基経は光孝天皇の関白になったが、藤原良房の子ではない。まや安和の変(あんなのへん)によって左遷された人物は源高明であり、源経基は藤原純友の乱を鎮圧した人物。ウは正しく、田楽や猿楽は当時民衆と貴族の間に広まった。エは逆。後白河法皇は関東一帯をすでに支配していた源頼朝を恐れて、源義経に倒すように命じたが、結局は頼朝のなすがままに終わった。

問7 ウ イ エ ア

ア 1189年
イ 1184年1月
ウ 1180年
エ 1184年10月

小学歴史

以降は小学校で習う平安時代をまとめました。

平安時代のざっくりまとめ

平安時代は歴史が長いので、前期、中期、後期と分けて以下のようにコンパクトに理解しましょう。

空海と最澄

空海と最澄は山、寺、宗教の順にセットで覚えます。

空海 … 高野山、金剛峰寺、真言宗
最澄 … 比叡山、延暦寺、天台宗

摂関政治

まずは摂政と関白について。

摂政 … 天皇が幼い時、または女性の時に、天皇に代わって政治を行う。
関白 … 成人した天皇の政治を助ける。

平安時代は、藤原氏が摂政や関白になって朝廷の政治を実質的に握った時代です。特に藤原道長とその子の藤原頼通の時に、藤原氏の勢力は最も強くなります。その時に藤原道長が詠んだ和歌が受験にはよく出ます。

この世をば わが世とぞ思ふ もち月の かけたることも なしと思へば

院制

藤原氏の勢力をおさえるために白河天皇が院制を始めます。院制とは、天皇の父また祖父(上皇)が天皇に代わって政治を行うこと。白河天皇は子を堀河天皇として即位させて、自分は「院」となって「院制」を行います。これより藤原氏の権力は衰えていきます。

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