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諦めと悪の個人主義が対立すると、高度な人材は外国に逃げる

※この記事は私の主観にもとづく短いエッセイです。

現代の個人主義、特に日本の個人主義は二つの根をもっていると思います。

・諦め
・悪

扇動といった純粋な悪意にもとづく個人主義が拡大する一方、諦めと無言にもとづく個人主義がグローバル志向に救いを求めています。結果、出生地や国籍の自尊心より外国企業の適正な評価を優先する人が増えることに。

沈黙の個人主義が自然になると、高度な人材は外国に流出します。結果、国内の生産性はさらに下がり、高付加価値の産業は国外に逃げていく。

高付加価値産業の空洞化と少子高齢化は経済の縮小を決定づけ、財政はより不安定になり、円安はより進み、市民の生活はより悲惨になっていくと考えられます。

沈黙する個人主義が扇動する個人主義に勝利する可能性はなく、期待できる未来は数年後でなく、三十年から五十年後にあります。

ヨーロッパの一部は移民政策の失敗で右翼政党が議席を増やしていますが、日本は異なる背景から(少なくとも言論の世界で)右傾化が進んでいます。これは、エリート階級が諦めやすいこと、いいかえれば、きわめて利己的であることを示唆しています。

彼らを利己的にさせるものは金でしょうか? 悲惨な投資環境でしょうか? 私は違うと思います。究極的な原因は「罪より恥を重視する」という文化です。

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