エッセイ 教育

東大受験生に贈る最後の言葉:今から不得意なものを勉強してもムダ。得意なものを徹底的に勉強する人が合格する。

今日は2021年2月9日です。もし予備校にいる教員が2月になって「短期間で苦手克服」とほざいたら、そいつは本物のクソです。立場の弱い受験生とその親を狙った冬期講習という金脈は絶対に消えない。誰も口にしないけど、予備校は新興宗教や占い師と同じで、わらにもすがる思いの人から金をふんだくるビジネスにすぎない。

東大の受験生に伝えたいことは、短期で克服できるものはないということ。そんなものがあったとして、じゃあなぜあなたはそれまで克服できなかったのか?

私は古文がどうしてもできなかったので、たぶん秋頃にはすでに諦めて放置していた。どうせ440点のうちの20点だし、運よくわかりやすい文章が出てくることを祈っておこうと思っていました。本番はやっぱり意味ぷ~だったので、たぶん5点くらいだったと思います。それでも合格したのは、得意な数学と物理を最後まで伸ばしたからです。

今から理解できると思わない

理解できるなら、あなたはすでに理解しているはずです。このクソサイトで私は何度も言っていますが、受験の方針はそもそも高校一年生のときにほとんど決まっている。それは、高校一年生のときに得意だったものを受験直前まで徹底的にやって、苦手なものを適度に放置すること。

何度も言っているので実にストレスがたまりますが、人間は結局ほとんどなにもできない。これが真実です。オレっちはなんでもできるし、勉強もスポーツも芸術もできるし、コミュニケーション力もあるから人気者だし、なんてやつは存在しない。存在するのは妄想だけで、なんでも屋はなんにもできないカスです。レベルが低い世界にいると、わずかな努力でライバルに差をつけられるから、自分はなんでもできると思ってしまう。だから「僕ちんは、たいていのことはできるんだよね」と思う人間は、実力ではなくプライドを磨くだけの人生を送ります。

数学が苦手でも物理が苦手でも、それはむしろ自然なことです。自然の摂理があなたを数学嫌いにさせているだけで、あなたに責任はない。むしろ、嫌いな数学をなんとか伸ばそうとするところにあなたの愚かさがあります。

数学が嫌いな人は愚かじゃないけど、嫌いな数学を好きになろうとする人は愚かです。

土壇場になって嫌いなものを集中的にとりくむ人は先生にだまされている。

得意なものを完全にマスターする

あなたが不合格するときは、あなたが得意なものをしくじったときです。不得意な分野でドジっても不合格にならない。得意な分野でドジったら不合格になる。不得意なものはそもそも合格ラインに達してないから、それが半分になってもあまり痛くない。だけど得意なものは合格ラインを大幅に超えているので、それが半分になったら致命傷になる。

私の場合を考えてみます。私は数学と物理が得意で、国語と英語がクソでした。予備校の模擬試験では数学は90点前後、国語は30点前後という感じだったと思います。

数学の90が半分になって45になったら終わりです。だけど国語の30が15になってもそこまで絶望的じゃない。国語の30を35にする努力と、数学の90を100にする努力はたぶん同じですが、その努力によって90が45になるリスクを減らせます。なので数学を勉強するほうが合理的です。

合格に直結する行動をとるよりも、不合格に直結する行動を避けるほうがリスクヘッジになります。

「あっそ、じゃあ不得意な英語はもうやめだ」とはならないでください

不得意なものを完全に放置したら、やっぱり不合格が待っているかも。直前期の東大受験生に必要なものはさじ加減です。不得意なものを「ほどほどに」勉強することが重要です。

怠け者の私もさすがに古文単語はチェックしていたし、赤本を寝ながら読むくらいのことはしていました。

計画のない勉強はいつも破綻する

「私はぁ〜これだけがんばってるのにぃ〜じぇんじぇん報われましぇ〜ん!!!」とほざく人は努力の方向がずれています。方向を修正するだけで人生は報われる。成果が存在するほうに歩かないといけない。成果がないほうに向かって、ぜ〜んぜん報われない死んでやるッ!と言っても、それは当たり前のことです。

努力とは、あなたの時間をかけることを意味します。ほとんどの人は賭け事は嫌いですよね。大金を賭けるってなったら、めっちゃ調べたり、悩んだりするはず。でも努力という賭け事においては、よく調べもしないで膨大な時間をかけて(賭けて)しまう。

失敗とは、努力ではなく、努力という賭けにいく前の調査をサボったことによるハズレくじです。なので努力と失敗はほとんど関係ない。